今年度は、幼稚園の60周年を祝いました。千人を超える卒
園生が、今どこで何をされているかはわかりません。しかし
伝えることができるならば、
「あなたは神さまに愛されている。今も変わらない愛が注がれ
ている。あなたの幸いを祈っています。」と伝えたいです。
さて、イエスさまはなぜ血を流されて十字架で亡くなられた
のでしょうか。むごいとしか言いようがないのです。
へブル人への手紙9章22節には、
「・・・血を流すことがなければ、罪の赦しはありません。」
とあります。罪の赦しは血によらなければならないのです。
人類の初めの人アダムが、神さまが食べてはならないと言わ
れた木の実を食べて罪を犯し、エデンの園から追放されました。
しかし神さまは、自分のお造りになった動物を殺し、皮の衣を
作って着せて下さいました。罪を犯し永遠のいのちはなくなり、
終わりあるいのちとなりましたが、神さまは温かい皮を着せて
下さったのです。神の赦しと愛です。それから罪を犯す人間は、
自分の代わりに動物犠牲をもって神さまに赦しを願い、礼拝す
るようになりました。
しかし形骸化し罪を繰り返し犯し、神を敬うことを忘れてい
きました。そのような私たちを神さまは見放されず、神の御子
を人としてクリスマスにこの世界に生まれさせ、神さまの愛を
伝えて下さったのです。しかし人は、「神さまはいらない」「自
分たちの生き方が一番」と言い、神の御子イエスさまを十字架
で殺したのです。しかしイエスさまは、3日目によみがえられ、
今も生きてとりなしていて下さるのです。血はいのちであり、
血は愛です。十字架から流れたのは、私やあなたへの愛であり、
あなたを赦す愛です。
辛い事や悲しいことがあると、私たちはだれにも愛されてい
ないと思い、と孤独になります。しかし血を流すほど愛して下
さっているイエスさまを忘れないでください。イエスさまは、
あなたを忘れず、今も天で祈り続けていて下さいます。
2025年3月週報より
先週こんな詩を見付けました。ご紹介します。
『寒中に木の芽』 内村鑑三
1春の枝に花あり
夏の枝に葉あり
秋の枝に果あり
冬の枝に慰めあり
2花散りて後に
葉落ちて後に
果失せて後に
芽は枝に顕われる
3嗚呼憂に沈むものよ
嗚呼不幸にかこつものよ
嗚呼きぼうの失せしものよ
春陽の期近し
4は1と同じ
内村鑑三は、キリスト教の指導者です。春の枝に花が咲
き夏は葉が生い茂る、秋には実をつける。冬には春への備
えです。こうして季節は巡っていくというのです。ですか
ら、今ああと「憂に沈む人」「不幸に嘆く人」「希望の失せ
た人」に今は苦しむとも憂えることはない。行く手には春
があると作者は語りました。
私たちの人生には、春のようなときも冬のようなときも
あります。その冬のようなつらい時に自分で希望を見出す
こ難しいです。春の希望を与えるお方は、イエスさまだけ
です。私たちの寂しさ不安を知っておられ、私たちを愛し
十字架で死んでよみがえったお方はあなたの現状を知って
希望を与てくださいます。
「どうか、希望の神が、信仰によるすべての喜びと平安で
あなたがたを満たし、聖霊の力によって希望にあふれさせ
てくださいますように。」(ローマ15:13)
いかなる時にも愛の神さまは、変わらずあなたと共におられます。
皆さんは新年を迎えるに当たり、目標を立てられておられま
すか?体のために何か始めたり続けることは大切ですね。それ
と共に信仰の歩みを続けるためにぜひ聖書を読み、祈ること、
礼拝を大切にしてまいりましょう。また今年の御言葉をぜひ決
め、そのみ言葉を毎日口にして祈っていただきたいと思います。
私の今年のみことば
「そうしてあなたがたは、わたしこそ主であることを知る。」
(列王記第一 20:28)
私は毎朝、旧約聖書を通読しています。アハブというイスラ
エルの王がいました。神さまを恐れず異教の神を信じる王でし
た。聖書の中でも悪い王と言われています。当時預言者エリヤ
がいました。このアハブと神対決をしたことで有名です。その
中に出てくる御言葉です。
色々なことの中に、私の信じる神さまこそが主であると知る
ということです。それは、神さまを人格的に知るということで
す。私の生活の中に共に歩むお方、恵み深いお方だということ
をより一層知らせて下さるのということです。「そうして」で
すから生活に起こってくる様々出来事の中に神さまが共にいる
と認めていく時に、不思議な事が起こるのです。そして「あー、
神さまはすばらしい」と讃美できる時が来ると信じています。
毎朝の祈りの中で「今日も神さま、私があなたを知る日にし
て下さい」と祈って歩みたいのです。心がざわつく日も平安な
日もすべての日の中で、私の主として知って歩めますように。
理解できないことやすぐに解決できないことがあっても、祈り
続ける心が与えられ、主を知るようになりますように。
相原幸紀美(2025年1月週報より)
マリアとヨセフは、婚約中でした。婚約中のというのは、
不安もありましょうが、愛する人と共に歩むことへの希望
が若い二人を包んでいたことでしょう。貧しくとも二人で
良い家庭を作っていこうと祈っていたことでしょう。
そんなマリアは御使いから、「おめでとう、恵まれた方。
主があなたとともにおられます。」「恐れることはありませ
ん、マリア。あなたは神から恵みを受けたのです。見なさ
い。あなたは身ごもって、男の子を産みます。その名をイ
エスとつけなさい。」(ルカ1:28、30~31)と言われ困
惑します。これは、ヨセフとの結婚後に身ごもるとの言葉
ではなく、ヨセフとの関係がある前に身ごもるとの言葉だ
ったのです。
マリアは戸惑い、「どうしてそのようなことが起こるの
でしょう。私は男の人を知りませんのに。」(ルカ1:34)
と言いました。「どうして」という言葉を使っています。
あり得ないことなのです。自分が思い描いていた人生の計
画と違うことが起きたのです。
私たちにも「どうして」ということが起きるのです。こ
こでマリアが正直に「どうして」といったことは私たちの
慰めです。「どうして」と言っていいのです。祈ってい
いのです。そのマリアに聖霊によること、神計画であるこ
と、神にとって不可能はないということが語られたとき、
マリアは、「私は主のはしためです。どうぞ、あなたのお
ことばどおり、この身になりますように。」(ルカ1:38)
とお返事し、神さまのご計画に身を委ねます。あとからヨ
セフにどう伝えようかと思案したかもしれません。しかし
神さまはヨセフにも語られました。
「どうして」という中に置かれたとき、その背後に神さ
まがおられるということを覚えましょう。神さまは私たち
にいのちを与え、生かし導かれるお方です。「どうして」
から「おことばどおりこの身になりますように」と告白
できますように祈ります。神さまはあなたを見捨てず、
見放さないお方です。信じてみませんか。
今年も残すところあと2か月になりましたね。
新年から大きな地震がありました。また特に能登地方の人々は豪雨にも遭い辛い辛い2024年でした。世界を見ても戦争は終わるどころか戦地が増え辛いことばかりです。この世界は、どうなるのだろうと不安がいっぱいです。
聖書の中に羊がよく出てきます。羊は迷いやすく、近くのものしか見えないそうです。ですから羊飼いが必要です。羊飼いが水のある場所につ入れていき、危険な場所から守り、野獣から守ってくれます。
私たちも羊のようです。迷いやすく不安になりやすく、危険に会うことがたくさんあります。そんな時私たちを造り、愛して下さる羊飼いのようなお方と共に歩む時一人でないことを知るのです。
孤独を感じ闇を感じているあなた、先の見えない不安の中を歩むあなたを神さまはわたしのところへおいでなさいと言われています。
勇気を出して教会にいらしてください。一緒に神さまを仰ぎながら祈りながら、歩みませんか。
お待ちしています。
「神は実にそのひとり子をお与えになったほどに、世(あなた)を愛された。」(ヨハネ3:14)
『十戒』を知っていますか?旧約聖書の中の出エジプト
記にあります。モーセをリーダーとして、エジプトで奴隷
だったイスラエルの民はカナンの地目指して旅をします。
そのような中で神さまは、モーセを通して十の戒めをお与
えになりました。覚えていますか?教会によっては毎週告
白するところもあります。
十戒
1あなたはには、わたし以外に、ほかの神があってはならない
2あなたは自分のために偶像を造り、拝んではならない
3主の名をみだりに口にしてはならない
4安息日を覚えて、これを聖なるものとせよ
5あなたの父と母を敬え
6殺してはならない
7姦淫してはならない
8盗んではならない
9偽りの証言(うそ)をしてはならない
10隣人の家を欲して(よくばる)はならない
1から4までは神さまを大切にするべき教えです。神さまは
私たちを造られ愛して下さるただおひとりの方です。大切に
しましょう。5から10までは、私たちの周りの人を大切に
する教えです。それは自分を大切にすることになります。イ
スラエルの人たちが神を愛し、互いに愛し合う人であってほ
しいと神さまは十戒を下さいました。今の私たちにも神さま
はそう願っています。しかし実際に人を殺さなくても、赦せ
ないと思います。小さな妬みが大きな罪を産みます。私たち
は罪人です。10の戒めを守りたいのに守れないのです。神
さまを大切にしたいと思いながらもできず、人を傷つけ自分
を傷つけています。ですからイエスさまの十字架と復活が必
要です。イエスさまにすがって神と人を愛して歩みましょう。
2024.9月の週報より
朝の祈りの中で申命記を読んでいます。旧約聖書で
すが神さまの愛、優しさを感じる書物です。特に33
章からはモーセが死を前にしてイスラエル民族を祝福
しています。これは神さまを信じる私たちに語られた
言葉でもあります。
「主に愛されている者。彼は安らかに主のそばに住ま
い、主はいつも彼をかばう。彼は主の背中に負われる。」
(33:12)
「幸いなイスラエルよ、だれがあなたがたのような、
主に救われた民であろうか。主はあなたを助ける盾、
あなたの勝利の剣。」(33:29)
朝これらの言葉に出会って、主がいつも、いつもそ
ばにいてかばっていて下さるんだ、誰が私を否定し、
自分でも自分を受け入れなくなる時も、主は私のそば
におられると信じる時に、今日も主に支えられている
と感じます。
また誰があなたのような主に救われた民があろうか
という言葉を読んだ時、本当だなと感動しました。私
のために十字架にかかるほど愛していて下さるイエス
さまというお方に出会って私は救われました。色々あ
っても神さまが私の助けであると信じ、今日まで歩ん
でこれたことは感謝しかないと思いました。
神さまの愛の御言葉をぜひ蓄えてください。そのみ
言葉が、思い出されることがあるのです。その時言い
しれない平安があります。誰がなんと言おうともあな
たは神さまに愛されています!
あなたを造られ、生かし、あなたのすべて、言葉に
ならない思いもご存知のお方は、あなたのために十字
架にかかられ三日目によみがえられたお方です。聖書
を通してあなたへの愛を語っておられます!!
2024年8月週報より
先週詩篇81篇からメッセージをいたしました。この詩編
は勧告の詩編の一つです。イスラエルの人々に何を勧めたの
でしょうか。
一つは、『讃美しよう!』ということです。神さまを讃美す
るとき私たちの心は神さまに向かいます。喜び歌え、叫べと
勧めています。何を喜ぶのか、何をもって神さまを讃美する
のかということですが、それはイスラエル民族にとっては、
エジプトの奴隷であったことからの脱出です!私たちにすれ
ば、神さまとの出会いを思い出し、そのことがどんなに感謝
なことだったかを思い出し、忘れないようにしなさいという
ことです。私たちは、恵みをすぐに忘れてしまします。祈り
のとき、礼拝のときに神さまに出会ったことを思い出して感
謝し讃美するよう勧めています。
二つめは、『神さまの言葉を聞いて、従おう』ということ
です。私たちにとって神さまはただおひとりです。他の神に
従わず、神さまの言葉の聖書に聞き従うようにとのことです。
しかしイスラエルの民は、この恵みを忘れて、他の神に従い
ました。神さまは、イスラエル民族をされるがままにされま
した。神さまは、待って待っておられたことでしょう。私た
ちも神さまの愛と恵みは知っていますが、すぐに忘れてつい
つぶやき、不信仰になってしまいますね。
「しかし主は、最良の小麦を御民に食べさせる。
わたしは岩から滴る密で あなたを満ち足らせる。」
(詩編81:16)
「しかし主は」です。従いきれない、信じきれない弱い私た
ちにも、最良の小麦、蜜で満ち足らせると約束して下さるの
です。ですから、讃美しながら神さまの御言葉である聖書の
言葉を聴いて従っていきましょう。
イエスさまの十字架は、私たちを愛して赦して励ましてく
ださいます。今週も復活の主があなたとともに歩んでくださ
います。 (2024年7月週報より)
第一礼拝でヨセフについて3回に分けてお話ししました。
創世記37章から50章です。小説よりも面白く、神さまの
計画の不思議を感じることができます。ぜひお読み下さい。
ヤコブの12人の子どもの11番目のヨセフです。彼は父
親から溺愛され、兄たちから妬まれます。ヨセフは麦束の
夢、太陽と月星の夢を見ます。夢の話をすると益々兄たち
の怒りをかいます。兄たちに弁当を届けた時、兄たちはヨ
セフをエジプトに奴隷として売り渡します。上着に動物の
血を付け父に見せ、父は愛するヨセフが死んだと信じ絶望
します。しかし、ヨセフは死んでいません。エジプトの地
で生きています。兄たちに裏切られ、愛する父から離され
たヨセフでしたが、彼はこの苦しみの中でも置かれた所で
誠実に歩む様子が書かれています。聖書はこう記します。
「主がヨセフとともにおられたので」(創世記39:2,21,23)
ヨセフと共に主がいて下さり、彼が何をしてもそれを成功
させて下さいました。もちろん「なぜこんなことに?」と
思ったでしょうが、彼は主がいて下さると信じていました。
その後も牢屋に入れられたり、牢屋から出られるチャン
スがあったのに忘れられてしまいます。その後エジプトの
王の夢の解き明かしを通してエジプトの大臣に就任するこ
とになりました。7年後に飢饉が起こり、イスラエルから
ヨセフの兄弟が来ました。彼らは自分が売った弟がまさか
大臣になってるとは思いもしません。ヨセフはすぐにわか
りました。しかしすぐには自分を明かさず様子を見ますが、
最終的に泣きながら再会を喜び、父をはじめみんなでエジ
プトに移住することになりイスラエル民族は守られました。
「あなたがたは私に悪を謀りましたが、神はそれを、良いこと
のための計らいとしてくださいました。それは今日のように、
多くの人が生かされるためだったのです。」(創世記50:20)
神さまの計画が私たちにはわからないことがあります。
時になぜだろうと苦しみます。しかし主は信じる私たちを
お見捨てになりません。そして良き計画をお持ちです。
2024年6月の週報より