コラム  (週報ー風ーより)


 

       私は聖書を黙示録まで読み終わり、また創世記から読み始め 

      ています。聖書は、不思議です。何度読んでも新しい御言葉に

出会います。アブラハムの人生を聖書から学んでいます。

 

       アブラハムは、以前はアブラムと言われました。彼は神さま

      から「わたしの示す地にいきなさい」(創世記12:1)と言

      われ神さまの導きに従い旅を始めます。75歳です。神さまは

      その時その時に応じて声を掛け、彼を導いていかれます。特に

アブラムを祝福しあなたを大いなる国民にすると言われました。

 

       しかしアブラムには子どもは与えられずにいます。神さまの言

      葉を信じつつも、自分の力、知恵に頼って失敗しそのことで悩

      み苦しむ姿を聖書は赤裸々に描いています。しかし神さまは、

      約束を粛々と進められます。その中でアブラムの名をアブラハ

      ムに、妻サライの名をサラに変えて、導かれます。アブラハム

      からすると子どもが与えられるという約束は、待っても待って

も与えられないのです。しかし聖書にはこのようにあります。

 

      「主は約束したとおりに、サラを顧みられた。主は告げたとお

りに、サラのために行われた。(創世記21:1)

 

       約束したとおり、告げたとおりに行われたのです。アブラハム

      は100歳にして子どもが与えられたのです。神さまのわざで

      す。アブラハムは、約束を信じられないで女奴隷に子を産ませ

ます。でも神さまの約束は、変わらずに行われました。

 

       私たちは、神さまを信じて歩み始めましたが、いつしかずれ

      てしまうこともあります。しかし神さまの約束は変わらない、

      神さまの愛は変わらないのです。十字架にかかり死なれたお方

は、今もよみがえり天で祈りあなたを私を愛しておられます。

 

       私は時々今まで歩んだ道を祈りの中で振り返ります。辛く涙な

      がらに祈ったことや、何気なく祈ったことなど振り返ると神さ

      まの愛のみ手があったと感謝します。アブラハムもきっとその

      時わからなくても、後から恵みを感じたことを思ったと思いま

      す。神さまがあなたの人生を最後まで導いてくださいます。祈

りながら歩んでまいりましょう。

 


 

       桜が咲きました。菜の花やチューリップなど春の花が一斉に

      咲きました。なんだかワクワクしますね。ひとつひとつの花を

      見ると色も形も違います。神さまって素晴らしい芸術家だと感

      動しますね。小さな花も大きな花も私たちを慰め励ましてくれ

      ています。

 

 

 

       4月9日のイースターを前に、イエスさまの歩みを考えてい

      ます。神さまであるイエスさまがこの世界に来られた。それも

      赤ちゃんの姿になって母マリヤにお世話される立場になられた。

      誕生は馬小屋です。大歓迎されるでもなく、わずかな人々に祝

      われただけです。その後命を狙われ、エジプトで両親と共に文

      化も言葉も違う世界で過ごされたのです。その後ナザレという

      場所に住まれますが、父ヨセフは亡くなったようで、後大工と

      して労働の苦しみ、生活の大変さを身をもって感じられます。

       公生涯と言われる神の国の宣教を始められる時に、罪人が悔

      い改めるために受ける洗礼を、罪なきイエスさまが受けられま

      す。祈りを聞いてくださる方が、祈らなければならない生活を

されます。一番苦しい時にそばにいてほしい弟子に裏切られ、

      孤独で十字架の痛みを耐えて死に、陰府(よみ)にまでくだって

      くださった。これらの苦しみ痛みを身をもって体験されたお方

が私たちの救い主、イエスさまです。

 

      「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではあ

     りません。罪は犯しませんでしたが、すべての点において、私

たちと同じように試みにあわれたのです。(へブル4:15)

 

       私の苦しみは、誰にも分らない!と言うことがあります。人に

      言えない闇を私たちは持っています。しかしイエスさまだけは、

      あなたの闇、痛み、苦しみを知ってくださるお方です。そのお

方は死んで終わりでなく、よみがえられ今も生きておられます。

 

       「ですから私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただい

       て、折にかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近

づこうではありませんか。」(へブル4:16)

 

       このお方の前にすべてのことを持ち出して祈りましょう。主

       はあなたのすべてをご存知です。受難節の期間、特に覚えて祈

       りましょう。    (2023年3月週報より)


 

      先週『愛とは待つこと』(吉持章著)という本を読みました。 

      非常に読みやすい本です。人はキリストに出会う時に、どんな

      に辛く厳しい不幸や試練にあっても、主の愛に支えられている

      ということを信じ不死鳥のように立ち上がることができるとい

      うのです。特にこんな文章に心惹かれました。『・・・今あなた

      が負っているその苦しみは、主があえてあなたを見込んで託さ

      れた、あなたに対する主からの厚い信頼の賜物です。主はあな

      たこそその苦しみを負いきれるに値する者と見られたからこそ、

それをあなたに託されたのです。』(p.47

 

       私たちは、負わされたものは違います。病を負って生きる事

      や家族の責任を負ったり、何年も解決できない問題を抱えたり、

      色々あるわけです。人から見れば大したことがなくても、やっ

      ぱり辛いわけです。祈ってもなかなか道が開けれないこともあ

      るわけです。でもこの文章を読んで、辛いけれど神さまはご存

      知で私に託してくださっていると思うと、辛いけれど神さまの

      解決を待とうと思いました。

「あなたがたが経験した試練はみな、人の知らないものではあ

 りません。神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練

       にあわせることはなさいません。

      むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてい

てくださいます。」(Ⅰコリント10:13)

 

       イエスさまはこの世界に人としておいでくださり、イエスさ

      まご自身色々な試練を通られ、最後は十字架で死なれました。

      それは私への愛の現われです。苦しみや悲しみの中でイエスさ

      まに出会い、信頼を深めて歩みましょう。あなたは愛されてい

ます。互いのために祈りましょう。

 


 

       先日、ウクライナにヨーロッパやアメリカから戦車等が供与 

       されるというニュースがありました。このニュースを耳にし、

       祈らなければと強く強く思わせられました。戦争が始まって約

       1年。終戦どころか激戦となっていくような気がしてなりませ

      ん。世界戦争になりかねません。この戦争により多くの人の命

      が奪われ、日常が奪われました。戦争は、破壊しかもたらしま

      せん。世界のリーダーが神を畏れ、正しい判断ができるように

祈りましょう。

 

 

 

  私の卒業した聖書学院の後輩が、ロシア宣教に10年以上前に

     行きました。今もロシアにいます。昨年秋に帰国を考えましたが、ロ

     シアに留まることを決めたようです。彼女は、ロシア正教の教

     会の中に住んで、そこで日本語を教えたりしているそうで、生

     活は守られているようです。ネット環境は良くないそうですが、

      日本の教会の祈祷会にズームで参加し、ロシアの人々ために祈

って下さいと言われたそうです。

 

      ウクライナに神の教会があり、ドイツの神の教会が物資を送

     ったり、支援を続けています。ウクライナでも祈っている人々

      がいます。みんな平和を祈っています。日本は遠く離れていま

すが、影響を受けています。一日も早い終戦を祈りましょう。

 

 

 

       実は私たちも小さな戦争をしているのではないでしょうか。

      武器は言葉です。言葉や態度をもって人を傷つけています。自

      分が悪いと思ってもなかなか謝ることをせず、なんとなく流し

      て赦されて日常を送っています。私は自分が疲れたり、余裕が

      なくなると、つい言わなくていいことを言って人も自分も傷つ

      けています。また自分の正しさを主張し、相手に聴く姿勢を失

      うこともあります。これは、罪です。イエスさまの十字架を見

      上げ、赦された者であること今一度深く見つめる必要がありま

     す。“謝る”って意外に難しいですね。戦いをやめる秘訣は、神

      さまの前に出て祈ることです。十字架の主イエスさまに感謝し

て歩んでまいりましょう。

 


 

        イエスさまの誕生を心より感謝いたします。

 

       イエスさまが赤子として私たちの世界に来てくださいました。

       人々を造り、生かし命を与えるお方、人間を愛し守って下さ

       るお方が、マリアとヨセフに抱かれ守られて誕生されました。

       小さな幼子の誕生は、家畜小屋の寒さを忘れさせ、マリアと

       ヨセフは大きな喜びに満たされたことでしょう。

 

        当時の社会は、ローマに支配され人々は、重税に苦しみ、

       宗教は形骸化し人々は希望もなく歩んでいました。

 

        『苦しみのあったところに闇がなくなる。・・・闇の中を歩

        んでいた民は大きな光を見る。死の陰の地に住んでいた者た

ちの上に光が輝く。』(イザヤ9:1~2)

 

        まさしく闇を歩んでいました。私たちの現代はどうでしょ

       うか。ロシアとウクライナの戦争は止まず、その影響により

       世界の経済はおかしくなっています。日本でも原油の高騰に

       より、物価が高騰し多くの人々は不安を抱えています。若者

       は将来に希望が持てずにいます。家族でさえも命を奪い合う

       時代です。便利なはずの情報社会が傷つけあうことになって

       います。心も体も疲れています。2022年前と変わらない

ような、いやもっと闇が深いような気がします。

 

        しかしそんな闇のようなこの世界にイエス様は来て下さい

       ました!それは愛をあらわすためです。十字架にかかって私

       たちの罪を赦し、三日目によみがえって私たちに希望を与え

       て下さいました。もしあなたが心を開いて「イエスさま、あ

       なたを信じます。ともにいて下さい』と祈るのなら、心の闇

       の中に一筋の光を見出す事でしょう。あなたを愛して、見捨

       てないお方、どんな困難な中にも共にいて支えて下さるお方

が一緒です。クリスマスは、喜びと感謝、希望のときです。

 

 

        あと数日で2023年という新しい年を迎えます。主が

皆さまの上に豊かに祝福して下さるようにお祈りします。

 

『わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく

 

知っている――主のことば――。それはわざわいではなく

 

平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与え

 

るためのものだ。(エレミヤ29:11)

 

                            2022.12月週報より


 クリスマスシーズンを迎えています。

 クリスマスの始まりをご存知でしょうか?それは約2000年前です。それはユダヤの国で起こりました。

 その頃の世界は、非常に暗く人々は希望を失い、重税であえぐ、宗教は形骸化して人々は苦しんでいました。それは人間が自分さえよければという心があり人よりも自分、人はどうでもいい、そのような罪深い生活をしていました。それは私たちだれでも持つものです。それゆえに死の恐怖をもち、希望もなく生きていました。まるで迷える羊のようでした。そんな私たち人間に対して神様はふかくあわれんでくださいました。この人間を救いたいと思ってくださいました。何度も神さまの愛を示したのに人間は無視しました。

 そんな時神様は、人間の姿をとってこの世界においで下さったのです。乙女マリヤから聖霊によってやどって

誕生されました。それも馬小屋でお生まれになりました。家畜の匂いがあり、とても衛生的とは言えない環境です。年中動物の鳴き声がします。馬小屋は、風が吹くと寒いところです。こんなところにイエス様は誕生されたのです。母マリヤと養父ヨセフに見守られて誕生されました。

 あなたの心はどのようなこころでしょうか。人からはわからない哀しみがあるのではないでしょうか。どうしても許せない過去を持ちくるしんでいないでしょうか。死の恐怖にさいなまれていませんか。実は、私たちの心こそが馬小屋のようです。しかしあなたがイエス様を信じ心にお迎えするならば、静かな平安と喜びの人生が始まります。お金を積んだり、難行苦行する必要はないのです。

 イエス様はあなたや私のために生まれて下さり、33年地上の生涯を歩まれ、最後は十字架にかかって亡くなりました。十字架の上で「かれらをお赦しください」ととりなしてくださいました。死んで終わりでなく3日目に死を打ち破りよみがえられのです。(イースター)その後40日弟子たちによみがえりの姿を現し、今は天で私たちのために祈り続けておられます。また地上に来られるという約束です。

「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになれました。この方こそ主キリストです。」(ルカ2:11)

あなたの人生がイエスさまと出会い、愛されていることを知って新しいスタートをぜひ始めていただきたいです。そんなクリスマスになりますようにお祈りします。

 

 

 


 朝夕は、寒くなりましたね。もう少し布団にいたいなーと思う朝ですね。

 先日名古屋に行きました。その教会は51年の歴史がありました。しかし残念ことに教会を閉鎖することと

なりました。悲しいことですが神様のみてに委ねます。その最後の礼拝に伺いました。その時に思い出をお話

しください。とお願いしました。一人ひとり神様との出会いや教会との出会いなど話されました。神さまがこ

の教会を用いて下さっていたのだなと感謝しました。

 出会いはとっても大切です。人との出会いもそうですが、神様と出会ったときに私たちは変わります。

私は小学校3年の時に教会にいきました。それまでは、いじめられていました。忙しい母には甘えられず生きて

いることに子どもながら辛さを覚えました。しかし死んだらどこに行くのかという恐怖がありました。そのよう

な時に「教会にいかない?」と一人の友だちが誘ってくれました。教会がどんな所かはわかりませんでしたが、

誘われた事の嬉しさに行くことにしました。

 

 教会に行くと温かく迎えられました。子どもでしたが続けて行く決心をしました。次第に自分に罪があることがわかりました。悔い改めて洗礼を受けることにしました。中学生でしたがその日本当にうれしかったことを覚えています。

「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために宥めのささげものとしての御子を

遣わされました。ここに愛があるのです。」(Ⅰヨハネ4:10)

 

誰にも愛されていないと思っていたけれど神様が私をあいしてくださっている!!そしていつも一緒にいて下さることを素直に信じました。私の人生50年以上ですが、色々ありますがいつもイエス様が一緒にいて支えて導いてくださいます。このお方に出会って本当に感謝です!

今がどんな状況でも神様であるイエス様は、あなたを愛しておられます。イエス様は、私たちの救い主です。

献金して救われるのではありません。ただ信じますと祈りましょう。勇気を出して教会にお出でになりませんか?

教会ではあなたのおいでをお待ちしております。


 

      先日イギリスのエリザベス女王の葬儀を観られた方もおられ

     ると思います。葬儀の讃美や聖書箇所は、ご自分であらかじめ

     選んでおられたそうです。讃美の一つは「主は羊飼い」でした。

     女王は、1952年即位後初めてのクリスマスメッセージでこ

のように言われています。

 

     「…私がこれから行う厳粛な約束を果たすために、神の知恵と

     力をを与えてくださるように、また生涯にわたって、神と皆さ

んに忠実に仕えることができるように祈ってください」と。

 

      また2000年のクリスマスメッセージでは、

     「私にとっては、キリストの教えと、神のみ前で求められる私

     自身の説明責任が私の人生を導くための枠組みとなっています。

     私は多くの皆さんと同じように、困難な時にキリストの言葉や

     模範から大きな慰めを得てきました。」また

     「私は、良い時も悪い時も、自分の信仰にどれほど頼っている

     かを知っています。毎日が新しい始まりです。・・・その日その

     日にベストを尽くし、神に信頼することが、私の人生を生きる

唯一の道であることを知っています」

 

      葬儀のためにご自分で選ばれた聖書箇所はヨハネ14:1~

     「あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわ

      たしを信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんあり

     ます。そうでなかったら、あなたがたのために場所を用意しに

     行く、と言ったでしょうか。わたしが行って、あなたがたに場

     所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎え

     ます。わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするた

     めです。」・・・イエスは彼に言われた「わたしが道であり、真

     理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれ

も父のみもとに行くことはできません。」

 

      女王であるがゆえに、私たちには考えられないご苦労があっ

     たことでしょう。その中で神のことばを聞き、神さまに信頼さ

     れて歩んで来られた姿は、多くの人の心に残っています。

     私たちも主に信頼し、今月も歩んでまいりましょう。

 

 


 

    9月に入りました。台風シーズンとはいいますが、強い台風が

やってきます。大きな被害が出ないことを心よりお祈りします。

 

    

 

 

 

                委ねよ

 

                        水野源三

 

     あなたの胸にわいてくる未来にたいする心配を

     委ねよ 委ねよ 委ねよ

     すべてのことをよきようにして下さる父なる御神に

 

     自分の力や知恵ではどうにも出来ない心配を

     委ねよ 委ねよ 委ねよ

     すべてのことをよきようにしてくださる父なる御神に

 

     友と楽しく話す時も胸から消えない心配を

     委ねよ 委ねよ 委ねよ

     すべてのことをよきようにして下さる父なる御神に

 

 

 

      上記の詩は水野源三さんの詩です。『心配』はわいてきます。

     私たちはまだわからない未来に対する不安を抱きます。どうに

     も出来ないことと分かっていても心配します。それは時には、

     ずっと心を支配します。この詩はよくわかります。その心配事

     をすべてのことをよきようにして下さる神さまに委ねというの

です。

 

      委ねます、委ねますといいながら私たちはやっぱり心配する

     弱い者です。ある先生は、神さまが私のために今までどんな良

     いことをして下さったかを思いだすと、この心配も神さまがき

     っと良くしてくださると信じることができますよと教えて下さ

     いました。十字架と復活を通して私を愛して下さるお方、祈り

     を聴いて下さったお方に目を上げると不安の中でも少しずつき

     っと大丈夫と信じることができます。時にはゆっくり神さまの

     恵みを思い返し感謝をささげてみましょう。神さまの愛はいつ

も注がれています。

 

     「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召さ

     れた人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となる

ことを、私たちは知っています」(ローマ8:28)

            (2022.9.4週報より)

 


 

      今祈祷会で『ルツ記』を学んでいます。旧約聖書にあります。ルツという

     のは女性の名前です。この人はモアブ人です。聖書の中心は、イスラエル人

     を中心とする救いの歴史です。

 

      エリメレクとナオミ夫婦そして二人の息子マフロンとキルヨンはユダのベ

      ツレヘムに住んでいました。しかし飢饉がありモアブの地に家族は移住しま

した。モアブで二人の息子は、奥さんをもらいました。オルパとルツです。

 

      幸せは束の間、ナオミの夫、二人の息子はなくなりました。残されたのは、

     ナオミと二人のモアブ人の嫁でした。女性ばかり3人が残されたナオミは、

     嫁たちの将来について心痛めたことでしょう。時代も今とは違います。想像

     してください。なぜこんな苦しみに遭うのか?と神さまに問うのではないで

しょうか?

 

      ナオミは、二人の嫁を連れてユダに帰国する決心をします。しかし嫁たち

     の将来を考えます。モアブ人の女性が、ユダで生活すること、自分が亡くな

った後などナオミは考えて、嫁たちにモアブの実家に帰るように促します。

 

       色々なやり取りの後オルパは泣きながらモアブの実家へ帰ります。

       しかし、ルツは帰らないのです。

     「あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。」(ルツ1:16)

     ナオミについて行く決心は固かったです。ナオミは苦しみ悲しみを背負い、

     ベツレヘムに帰りました。モアブのルツも一緒です。ルツは、さっそく落穂

     拾いに出かけます。ちょうど大麦の刈り入れのときです。その畑が問題です。

     エリメレクの一族のボアズの畑です!!つまり親戚の畑です。聖書は『はか

     らずも』と記しています(ルツ2:3)。ルツは何も知りませんでしたが、そ

     こには神さまのみ手があったのです。ボアズは、ルツについて知ります。ナ

     オミについてきたモアブ人だと。その上で非常に配慮してくれます。ここに

     神さまのみ手が働いています。結果的にこのルツとボアズは結婚します。そ

     してオベデという息子が与えられます。ナオミは非常にうれしかったことで

     しょう。そしてオベデの子孫から救い主イエスさまが、誕生なさいます。イ

     スラエルの歴史の中にモアブの女性が入っているのです。神さまは世界の神

さまなのです。ルツ記を読んでみませんか。

 

       ナオミは、哀しみの涙から喜びの涙に変わりました。ルツの人生の計画が

     このようになるとは想像もしなかったでしょう。神さまは、私やあなたの人

生に今も働いておられます。導いておられます。

 

     「人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、主が人の歩みを確かにされる。」

     (箴言16:9)『はからずも』実は神さまのみ手が働いています!人知れず

悲しみ苦しみの中におられる方に、神さまの愛が注がれますように!

               (2022年6月19日の週報より)

 


 

    幼稚園では、食事の前に歌を歌い神さまに感謝のお祈りをしていただきま

    す。先日年少組で食事をしました。食事の前に讃美しお祈りが終わって食べ

    始めました。4月に入園した子が多いクラスですがみんな自分で上手に食べ

    ています。すると一人の男の子が、ひとりで手をくんでまたお祈り始めまし

    た。4月から入園したばかりですが、食事のお祈りを一人でしっかりとでき

    たのです。そしてとってもかわいく!その子のお母さんに話すと、家で寝る

    前にすわって一人でお祈りしているそうです。3歳の子が手を合わせてお祈

りしている姿は可愛いし、神さまも微笑んでおられることでしょう。

 

 

 

     小さい時に神さまの存在を知ることはとても大切なことです。自分を造り

    愛している方がおられることは、自分が大切な存在であるということは、人

    格形成に大きな影響を及ぼします。そして目に見えない方、しかし確かにお

    られる方に祈る経験は大きな事ですね。礼拝ごとに年長児が、自分で考えた

    言葉でお祈りします。「お友達がみんな幼稚園に来られますように」「コロナ

    にかからないように」など子ども自身が考えます。時にはすぐに言葉が出な

    い子どももいますが、みんな静かに待ちます。時には先生に助けてもらいな

がらお祈りします。

 

 

 

     わたしが子どもたちの祈る姿をみて「かわいいな」「そうだよね」「やさし

    いね」と思いますが、天のお父さまである神さまも私たちの祈りを見ておら

    れ、聴いておられます。お祈りに素晴らしい祈りとかはありません。つたな

    くても神さまに心向けて祈る祈りを主は聴いてくださっています。その祈り

    はすでに聴かれています。ただ神さまのなさり方、神さまの時があることも

私たちは覚えなければなりません。

 

   「私たちすべてのために、ご自分の御子さえも惜しむことなく死に渡された

    神が、どうして、御子とともにすべてのものを、私たちに恵んでくださらな

いことがあるでしょうか。」(ローマ8:32)

 

     あなたは、神さまに愛されています。祈りは覚えられています。祈り続け

     しょう。神さまの霊、聖霊は、私たちを神さまの恵みの世界へと導かれま

     す。世界の平和のために祈りましょう。愛する家族や教会のために祈りまし

  ょう。          2022年5月の週報より

 


 

   「驚くことはありません。あなたがたは、十字架につけられたナザレ人 

    イエスを捜しているのでしょう。あの方はよみがえられました。ここに 

    はおられません。」(マルコ16:6)

 

 

 

     イエス様は、十字架で亡くなられました。

    手や足は釘で打たれ、頭には茨の冠、脇腹は槍で・・・。即死ではなく肉

    体の激しい痛みと闘われました。また人々からの誹謗中傷、裏切りによっ

    て精神的に苦しまれました。しかし私たちを救うために、耐えて最後まで

    忠実に神の御心に従われました。主を慕う人々は、悲しみと絶望の中にい

    ましたが早く埋葬する必要がありました。アリマタヤのヨセフによって墓

に収められました。

 

     その主に香油を塗るために、3日後に女性たちが墓に行きます。からの

    墓には、イエス様のご遺体がない!!驚きました。すると「よみがえられ

た!」と聞きます。女性たちは驚きます。恐れます。

 

    「彼女たちは墓を出て、そこから逃げ去った。震え上がり、気も動転して

    いたからである。そしてだれにも何も言わなかった。恐ろしかったからで

ある。」(マルコ16:8)

 

     イエス様が亡くなって悲しく、イエス様にもう一度会いたいと思ってい

     たであろう女性たち。本当ならばよみがえられたと聞いて喜ぶべきです。

    しかし恐ろしかったのです!!イエス様は生前よみがえると言われていま

    したが覚えていなかったし、人が死んでよみがえるなんてことは信じられ

ないのです。当然です。ですから墓に香油を塗りに行こうとしたのです。

 

    イエス様にお会いしたいけれど、お会いしたら、どうして十字架刑になっ

    た時助けてくれなかったのか、よみがえるといった言葉を信じないのかと

    責められるかも・・・なんだか複雑でしょう。しかしイエス様は、ヨハネ

    による福音書によると「平安があなたがたにあるように」と弟子たちを責

    めるのではなく、赦すために復活されたのです。死は誰でも通るが、それ

が新しいいのちへの道だとイエス様ご自身があらわしてくださいました。

 

     復活を信じられない方もあるでしょう。そうです。頭ではわかりません。

    死んだ人がよみがえるなど、あり得ないことです。しかし、あり得ないこ

    とを、失望と絶望の死を打ち破るためにイエス様はしてくださいました。

    イエス様を自分の神さまと信じるならば、私たちの死は悲しいことですが、

絶望ではないのです。教会は十字架で私たちの罪を赦し、復活によって死

    の恐怖を打ち破られたイエス様を信じる者たちの集まりです。

                  (2022年4月の週報より)


 

     ウクライナとロシアの戦いは続いています。ロシアに宣教師として行か

    れている女性のことを祈っていました。ロシアに今もおられます。最近の

情報は、「日本のカードが使えなくなりました。ネットがつながらないこ

が増えてきました。日本語クラス(日本語を教えながら宣教しています)

   がこれからどうなるかわかりません」という情報です。ある情報では、帰国

したくても飛行機がなかなかないということも言っていました。

 

   またポーランドにある教会(バプテスト)は、ウクライナからの避難民

   を受け入れているそうです。会堂も宿泊している人がいるそうです。世界

 が心を痛めています。

 

 ウクライナのクリスチャンが讃美し祈っていま。そして、ロシアのクリス

チャンも同じです。みんな平和を願っています。現地の人々の生活はかなり

困難になっています。戦争は、何の良いものをも生みださないことはみんな

分かっています。歴史は繰り返します。たとえ戦争が終わっても心の中には、

憎しみ痛み、苦しみは深く人々の心に残ります。本当に早く戦争が終わるこ

   とを願い、祈りましょう。

 

 

    今教会歴では、レント(受難節)です。先週は、ペテロがイエスさまを

   3回知らないと否んだ個所でした。一番弟子と言われるくらいのペテロが、

   イエスさまと同じように逮捕されるのではないかと恐れました。「確かに、

   あなたはあの人たちの仲間だ。ガリラヤ人だから。」と言われると、「私は、

   あなたがたが話しているその人を知らない」と言ったのです(マルコ14:

   70~71)。私たちはとっさに何か言われると、うまく応答できないこと

   があります。やっぱり弱いのです。自分が可愛いのです。ペテロのことを

   私たちは非難できません。しかし弱いペテロを、イエスさまはもうその前

からご存知です。

 

  「わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りまし

   た。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」

                        (ルカ22:32)

 

    イエスさまは、私たちのためにも今日も祈っていてくださいます。弱い

  私たちですが、その祈りに支えられて歩んでまいりましょう。

 

 

   私は、毎朝ローマ人への手紙を読んでいます。昨日の箇所に、「彼は望

   み得ない時に望みを抱いて信じ、『あなたの子孫は、このようになる』と

   言われていたとおり、多くの国民の父となりました。」(ローマ4:18)

   とありました。彼というのは、アブラハムのことです。アブラハムの奥さ

   んは、サラです。アブラハムとサラは、子どもが与えられませんでした。

   しかし神さまはアブラハムに、空の星を数えるように言われ、このように

   あなたの子孫はなると言われました。アブラハム(その頃の名はアブラム)

   はその神さまの言葉を信じたのです。しかしすぐに実現したわけではあり

   ませんでした。色々ありながらも神さまの約束は、その通りになりました。

創世記の第12章以降に記されています。

 

 

 

    「望み得ないときに望みを抱いて信じる」この言葉は、私の心を打ちま

   した。皆さん祈っておられることがありますか?ずっと祈っていても何の

   変化もないと思うことがありますね。子どもの事、仕事の事、親の事・・・

全然変わらないような時も私たちは、神を信じていくのです。

 

 

    ある牧師先生が今65歳で難病になり伏しておられます。昨日奥様に

   電話し、奥様とお祈りしました。奥様が「こんなことになるなんてと思い

   ましたが、神さまはこのような中にも不思議なことを幾つもしてくださっ

   ています。私は不思議に平安です」と言われました。厳しい病状を告げら

   れています。まさしく望み得ないような時です。しかし、神さまがこのこ

   とも知っていてくださると信じ歩む姿に大変教えられました。目に見える

ことがどんなに困難でも、祈りつつ神さまを信じて歩んでまいりましょう。

 

   「望み得ないときに望みを抱いて信じる」この御言葉ぜひ覚えていきまし

ょう。十字架にかかるほど私たちを愛してくださる主を仰いでまいりまし

   ょう。                 (2022年2月の週報より)


       「民よ どんなときにも神に信頼せよ。

        あなたがたの心を 神の御前に注ぎだせ。

       神はわれらの避け所である。」(詩篇62:8)

      

      「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。

         たじろぐな。わたしがあなたの神だから。

       わたしはあなたを強くし、あたを助け、

          わたしの義の右の手で、あなたを守る。」

(イザヤ41:10)

      

昨年、教会の方にこの2つのみ言葉を書いていただきました。優しい

温かい字で心が癒されますね。そしてこの御言葉いかがですか。いい御

言葉ですね。新しい年がどんな年になるでしょう。

楽しみなことがおありの方もありますね。もちろん新しいスタートを

切る人もおられます。しかし不安な面もあります。コロナ感染がいつま

でか?年末から連発する地震も私たちに不安を与えます。体調面で不安

がある方もおられるかもしれません。こどものことや親のことがと私た

ちは、信仰と不安の中を生きています。

 そのような中で、上のみ言葉「どんなときにも神に信頼せよ」との言

葉は大きな力になります。恐れに心が満たされたとき「恐れるな。わた

しはあなたとともにいる。」この御言葉を読むときにどんな感じがします

か?私は大きな励ましと平安を頂きます。御言葉には、私たちを救う力

があるのです!!

 このカレンダーをはって、この御言葉を覚えてください。この一年こ

の御言葉に励まされた、支えられたということが起こると思います。

 新しい一年も神さまに愛されているお互いを覚えて歩んでまいりまし

ょう。みなさまと共に礼拝し共に御言葉に聴き、お互いのために祈り励

まし合って歩んでまいりましょう。

「神は、実に,そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。

それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを

持つためである。」(ヨハネ3:16)


 

       わがたましいよ 主をほめたたえよ。

       私のうちにあるすべてのものよ

       聖なる御名をほめたたえよ。

       わがたましいよ 主をほめたたえよ。

       主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。

       主は あなたのすべての咎を赦し

       あなたのすべての病を癒し

       あなたのいのちを穴から贖われる。

       主は あなたに恵みとあわれみの冠をかぶらせ

       あなたの一生を 良いもので満ち足らせる。

       あなたの若さは 鷲のように新しくなる。

 

                           詩編103:1-5

 

            

 

        クリスマスが終わり羊飼いたちも置かれたところに帰っていき

        ました。救い主イエスさまと出会う前と同じ場所です。やっぱり

        夜番は続きます。しかし救い主が生まれられたそのお方に私たち

はお目にかかったという事実は大きな慰めでした。

 

         私たちも2021年を終えようとしています。今年、愛するご

        家族を天に送られた方もおられます。大病をして私たちは共に祈

        り快復を見させていただいています。幼稚園も少子化という厳し

        い状況にありながらも守られています。大きな事故ケガからも

        主のあわれみによって守られています。また2人の方が洗礼をお

受けになり新しく神の家族に加わられました。感謝です。

 

         皆様は、いかがですか?どんな感謝なことがあられましたか?

        大きな事もなく守られた。それも感謝なことです。

        「主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」

(詩篇103:2)

 

         私たちは忘れやすいものです。「あーよかった!」ですぐ忘れ

         ます。忘れないようにと主は言われます。年の瀬で忙しいかもし

         れませんが、主がよくしてくださったことを思い出し感謝の祈り

をいたしましょう。   (2021年12月26日週報より)

 


     クリスマスは、みなさんにとってどんな思い出がありますか?

     私の家は、クリスチャンではありませんでしたので年末の忙しさに追われていたという感じです。

     子どもの私は、実はいじめにあっていました。友達もいなく学校も嫌いでした。そのことを母に

     言えずにいました。そんな時に「教会に行かない?」と誘われました。教会?よくわかりません

     でしたが、誘われたことが嬉しくて教会に続けて行きました。小学校3年でした。

      あるときクリスマスは、イエスさまの誕生日であること、馬小屋でお生まれになられた事

     それは十字架で私のために死ぬために生まれられたこと、しかし3日目によみがえられて

     今も生きておられること。私を愛していて下さることを知りました。私の人生は、変わり

     ました。神さまに愛されている。状況は変わりませんが、祈ることを知りました。

      それから色々ありました。もちろん悲しいことや辛いこともでもそのたびに祈り、聖書

     の言葉に励まされてきました。教会の方々にも支えられてきました。

      クリスマスはイエス様のお誕生日、あなたを愛するためにイエス様はお生まれ下さいました。

     ぜひ目には見えませんが、あなたを愛しておられる神様の求めてみませんか?

      心からあなたのお越しをお待ちしております。

   「神は実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、

     一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)

 

 

 

 


今日の第一礼拝の箇所は、サムエル記第一13章1~15節、15

章です。イスラエルの最初の王サウルの失敗について書いてあります。

 サウル王は、イスラエルの人々とペリシテと闘うために出て来ます。

ペリシテ軍の勢いが強い様子を見聞きし、イスラエルの兵士は震えな

がらサウル王についていきます。その様子を見ながら、預言者サムエ

ルがきて例祭(礼拝と祈り)を行うのを待ちました。しかし預言者サムエ

ルはなかなか来ません。イスラエル人はサウル王から離れて行こうと

しました。7日間待ちました。とうとうサウル王は、預言者サムエル

を待たず、預言者しかできない全焼の捧げものを捧げました。すると

預言者サムエルが来たのです。そして「あなたは、何ということをし

たのか。」(サムエル第一13:11)と言うのです。するとサウル王

は、言い訳します。「私もあなたを待っていたんですよ。あなたの到着

が遅かった」「恐れている兵士たちを引き留めるためでした」「私がち

ゃんと全焼のささげものをしたんですよ。ほめてくれてもいいじゃな

いですか」というような思いで言い訳をします。しかし神さまは、言

い訳せず悔い改めるのを待っておられたのです。サウル王は15章で

も同じように神さまに従わず指摘されると言い訳し自分を正当化しま

す。ここに罪があります。

 

人はみな自分を正当化したいという心があるということです。自分

      が間違っているかもしれないと思ってもなかなか素直に認められない

のです。自分の過ちを素直に認められず、人を責めたり、自分を追い

詰め人も自分も傷つけていくのです。そんな私たちのために、イエス

さまは、私たちの身代わりになり十字架の上で死んでくださいました。

そして3日目によみがえり私たちに新しい命、生き方へと招いてくだ

さいました。神さますべてご存知で赦しのみ手を広げておられます。

「しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのため

に死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかに

しておられます。」(ローマ5:8)神さまは私たちを責め続けるお方

でなく、愛と赦しの中へと導き、自分を愛し人を愛する者になってほ

しいと願っておられます。私たちは、イエスさまの愛の中で日々変え

られ続けていくのです。愛なる神さまがみなさんとともに歩んでくだ

      さいます!!