コラム  (週報ー風ーより)


 先週詩篇81篇からメッセージをいたしました。この詩編

は勧告の詩編の一つです。イスラエルの人々に何を勧めたの

でしょうか。

 

一つは、『讃美しよう!』ということです。神さまを讃美す

るとき私たちの心は神さまに向かいます。喜び歌え、叫べと

勧めています。何を喜ぶのか、何をもって神さまを讃美する

のかということですが、それはイスラエル民族にとっては、

エジプトの奴隷であったことからの脱出です!私たちにすれ

ば、神さまとの出会いを思い出し、そのことがどんなに感謝

なことだったかを思い出し、忘れないようにしなさいという

ことです。私たちは、恵みをすぐに忘れてしまします。祈り

のとき、礼拝のときに神さまに出会ったことを思い出して感

謝し讃美するよう勧めています。

 

 二つめは、『神さまの言葉を聞いて、従おう』ということ

です。私たちにとって神さまはただおひとりです。他の神に

従わず、神さまの言葉の聖書に聞き従うようにとのことです。

 

しかしイスラエルの民は、この恵みを忘れて、他の神に従い

ました。神さまは、イスラエル民族をされるがままにされま

した。神さまは、待って待っておられたことでしょう。私た

ちも神さまの愛と恵みは知っていますが、すぐに忘れてつい

つぶやき、不信仰になってしまいますね。

 

「しかし主は、最良の小麦を御民に食べさせる。

   わたしは岩から滴る密で あなたを満ち足らせる。」

                          (詩編8116

 

「しかし主は」です。従いきれない、信じきれない弱い私た

ちにも、最良の小麦、蜜で満ち足らせると約束して下さるの

です。ですから、讃美しながら神さまの御言葉である聖書の

言葉を聴いて従っていきましょう。

 

 イエスさまの十字架は、私たちを愛して赦して励ましてく

ださいます。今週も復活の主があなたとともに歩んでくださ

います。           (2024年7月週報より)

 


 第一礼拝でヨセフについて3回に分けてお話ししました。

創世記37章から50章です。小説よりも面白く、神さまの

計画の不思議を感じることができます。ぜひお読み下さい。

 

 ヤコブの12人の子どもの11番目のヨセフです。彼は父

親から溺愛され、兄たちから妬まれます。ヨセフは麦束の

夢、太陽と月星の夢を見ます。夢の話をすると益々兄たち

の怒りをかいます。兄たちに弁当を届けた時、兄たちはヨ

セフをエジプトに奴隷として売り渡します。上着に動物の

血を付け父に見せ、父は愛するヨセフが死んだと信じ絶望

します。しかし、ヨセフは死んでいません。エジプトの地

で生きています。兄たちに裏切られ、愛する父から離され

たヨセフでしたが、彼はこの苦しみの中でも置かれた所で

誠実に歩む様子が書かれています。聖書はこう記します。

 

「主がヨセフとともにおられたので」(創世記392,21,23

 

ヨセフと共に主がいて下さり、彼が何をしてもそれを成功

させて下さいました。もちろん「なぜこんなことに?」と

思ったでしょうが、彼は主がいて下さると信じていました。

 その後も牢屋に入れられたり、牢屋から出られるチャン

スがあったのに忘れられてしまいます。その後エジプトの

王の夢の解き明かしを通してエジプトの大臣に就任するこ

とになりました。7年後に飢饉が起こり、イスラエルから

ヨセフの兄弟が来ました。彼らは自分が売った弟がまさか

大臣になってるとは思いもしません。ヨセフはすぐにわか

りました。しかしすぐには自分を明かさず様子を見ますが、

最終的に泣きながら再会を喜び、父をはじめみんなでエジ

プトに移住することになりイスラエル民族は守られました。

 

「あなたがたは私に悪を謀りましたが、神はそれを、良いこと

のための計らいとしてくださいました。それは今日のように、

多くの人が生かされるためだったのです。」(創世記5020

 

 神さまの計画が私たちにはわからないことがあります。

時になぜだろうと苦しみます。しかし主は信じる私たちを

お見捨てになりません。そして良き計画をお持ちです。

 

                2024年6月の週報より

 


         6月になり紫陽花が美しい季節になりました。雨が多 

        く心が萎えやすい季節ですが、紫陽花を見ると心が和み 

ます。

 

 ある人と話していました。その方は、仕事に追われ疲 

れて眠れなくなりました。体は横になっているのに眠れ 

なくなり心もきつくなったそうです。その時にある大き 

な公園に行き、一人でゆっくり散歩をしていたそうです。 

賛美歌を聴きながらゆっくり木々や花を見ながら歩いて 

いたら自然と涙が出て来たそうです。神様はいつも一緒

にいて下さると感じたそうです。たくさん歩いたことも

あり、心が満たされたのもありその日はよく眠れたそう

で、感謝だったと話してくれました。

 

 この方のように自然界に触れると心が癒されます。動

物によって癒されるという方もおられます。それは、私

たちと同じ神様に造られたものとして、癒されるのです。

神様は私たち人間を造られ、自然界をもって私たちに神

様の偉大さと慰めを現わしておられると思います。

 

 

 

 また聖書の言葉は、私たちに救いと生きる力を与えま

す。私自身、自分の弱さを感じることがありました。お

祈りしながらただ「主よ」と何度も祈りました。祈りの

通りにはなりませんでした。しかし続けて祈る中で、

「あなたは自分がエジプトの地で奴隷であったこと、そし

て、あなたの神、主が力強い御手と伸ばされた御腕をもっ

て、あなたをそこから導き出したことを覚えていなければ

ならない。それゆえ、あなたの神、主は安息日を守るよう、

あなたに命じたのである。」(申命記5:15)という聖書の

葉を読みました。何度も読むと、今は分からないけれど

も主はすべてご存知でいてくださること、私がたとえ失

敗や罪を犯しても赦してくださった、その神様の愛は変

わらない、このお方を覚えているか?と自問しました。

そう!私にはこのお方がおられると感謝しました。今も

力強い御手が伸ばされているのです。何と感謝なことで

しょう。これが礼拝(聖書を読み祈ることを含む)を守

ることの理由です。聖書の御言葉はもちろん、自然界を

通しても働かれる生ける神様との交わりを大切にしてい

きましょう。 


 さて先日星野富弘さんが召されたというニュースが飛

び込んできました。

 

  星野富弘さんは、高校生の時から体が動かせなくなる

まで器械体操をされていました。大学で教育を学び、体

育の教師になられました。中学の先生として働き始めた

1970年6月17日に事故が起こりました。生徒たちに模

範演技をしようとして落下し、首から下の機能を失った

のです。言葉では表現できないような失望感だったと思

います。そのような中お見舞いの方が三浦綾子さんの本

を持ってこられ読むようになられました。特に『道あり

き』を読んで聖書も読んでみようと思われたそうです。

初めてであった聖書の言葉は、「すべて、疲れた人、重

荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わた

しがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ1128

だそうです。この言葉は若い元気な時に出会ったそうで

すが、忘れられなかったようです。

 

  聖書を読み、牧師の訪問を受け聖書を学ばれました。

退院していく人や見舞う人に口に絵筆を加えて字を書く

ようになられました。197412月に洗礼を受けられ、

クリスチャンとしての歩みが始まりました。ご家族に支

えられ人生の半分以上不自由な身体でしたが、神さまを

証し、人々を慰め励ます存在となられました。絶望から

希望を持つ人となられました。

 

  昨年星野富弘さんの詩画カレンダー展を行い多くの方

がおいで下さいました。天に召されましたが作品を通し、

これからも多くの人の励まし、神さまの愛を語られるこ

とでしょう。神さまは、私たちひとりひとり違った形で

用いようとされています。あなたの笑顔、優しさ、親切

通して主イエス様が証されますようにお祈りいたします。

             2024年5月週報より

 


今私は、旧約聖書の民数記を読んでいます。奴隷だったイ

スラエル民族は、モーセに連れられてカナンの地目指して旅

をします。奴隷から解放してくださった神さまに感謝して歩

み始めたのですが、旅を続ける中で、水がない(砂漠の旅)

肉が食べたいなどとモーセに不満を言います。神さまはその

たびに必要を満たし支えて下さいます。しかし、民はすぐに

不満を言い出します。神さまがイスラエル人の願いを聞いて

戦いに勝利したことがありました。その後でこのように書い

てあります。

 

「・・・しかし民は、途中で我慢ができなくなり、神とモー

 

セに逆らって言った。」(民数記2145

 

神さまの素晴らしい約束の地カナン目指して旅をしています。

神さまは必要を満たしていて下さるのに「我慢できなくなる」

のです。そこで不満や愚痴が出るのです。

 

 祈っているのに現実が変わっていない、祝福して下さると

信じてイエスさまの愛を信じて歩み始めたのに、うまくいか

ないことが多いとつい不満や愚痴を言ってしまします。先週

目まいになり苦しみました。良くなって横になりながら、イ

エスさまを信じて歩んできた日々を思い出していました。小

3年の時から教会に行きはじめたこと、家族に反対された

こと、自分の罪が示され涙ながらに祈ったこと、献身して聖

書学院に・・・。色々思うと、神さまは確かにおられ私の人

生を導いておられるとあらためて思いました。ですから今あ

る問題も祈りも、神さまは『時』によって最善にして下さる

と改めて思いました。ですから「途中で我慢できなく」なら

ないで、忍耐をもって今日を感謝して生きたいのです。お一

人お一人課題は違いますが、祈りを続けましょう。主の時を

信じましょう。 


人は、神さまの愛と恵みを感謝しながらも忘れやすいと 

いうことを民数記11章で教えられました。イスラエル民

族がカナン目指して旅を始める様子が描かれています。イ

スラエル民族はエジプトで奴隷として過ごし、重労働に苦

しみ嘆き、神さまに叫ぶその声を神さまは聴き、モーセを

遣わし人々を救出してくださった。奴隷から解放し、海を

分け乾いた地を歩ませ、それは奇跡の連続です。しかし彼

らは時間が経つとこのように言います。「・・・ああ、肉が

食べたい。エジプトで、ただで魚を食べていたことを思い

出す。きゅうりも、すいか、にら、玉ねぎ、にんにくも。

だが今や、私たちの喉はからからだ。全く何もなく、ただ、

このマナを見るだけだ。」(民数記11:4~6)

 

 奴隷の彼らに肉や魚がでただろうか?野菜もこんなにあ

っただろうかと思います。マナへの感謝を忘れ、不平不満

しか出てこない。何という民かとあきれますが、実は私が

そこにいるのです。祈られ愛され、守られ、恵まれている

のになんと感謝が少ないことかと思います。柔和なモーセ

でさえこの民の姿を見て失望し、死を願い負の連鎖が発生

します。しかし神さまは、モーセに一人で負わなくてもい

いと慰め、この民にうずらを与えてくださるお方なのです。

何とあわれみに富む神であろうか。イエスさまの十字架を

仰ぐとき、私も赦された者であると感謝し、人を愛して生

きていこうと思います。しかし思うようにいかないと、つ

い不平不満が出ます。イエスさまの十字架の愛に立ち返え

るために礼拝をささげ、毎日神さまの前に静まりましょう。

 

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのこ

とにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあ

って神があなたがたに望んでおられることです。」

(Ⅰテサロニケ5:16~18)

2024.3月

 


    

 

        1月の半ばにインフルエンザの疑いで臥せっていました。

        インフルエンザA型で木曜日まで休んでいました。実は私

       だけではなく職員が他に4名、園児が15人ほど同時期に

       インフルエンザになり、幼稚園を火曜日から3日間休園に

しました。あっという間に感染して驚きました。

 

        このインフルエンザの中で、感染力の強さを感じながら

       色々考えました。一つは私はだれからこのウイルスをもら

       ったのか答えは分かりません。しかし確かなのは感染した

       ということです。私はだれかにうつしたかそれもわかりま

       せん。申し訳ないのですがわからないのです。しかし、わ

かっているのは感染した人がいるということです。

 

        これはウイルスだけではなく時々私たちのイライラは、

       誰かに感染します。人がイライラすると私たちの心は、嬉

       しくなくなり、そして心が暗くなったりイライラしてきま

       す。そして人は嫌な思いになりまた次の人へと感染してし

       まいます。また逆に嬉しい人や楽しい人、心優しい人がい

       ると心が嬉しくなったり、ほっとしたり癒されます。そし

てその心の温かさが伝わり、喜びという感染になります。

 

 

 

        私はどちらを広げているのかな?と思います。出来るな

       らば、喜びを広げる人になりたいなと思いますが、現実は

       どうでしょうか。神さまから頂く恵みによって、神さまに

       私の内側を変えていただいて、恵みを感染させ人に喜びを

       与える人になりたいなと思います。それは神さまの愛を深

       く知ることから始まるのかなと思います。神さまは、私を

       愛してくださり、自分でさえも愛しきれない私を神さまの

御手で覆うと言ってくださるのです。

 

「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。

 

わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強くし、

 

あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。」

 

                (イザヤ4110

 

        大好きなこの御言葉を何度も何度も言いながら、なんと優

       しい神さまなんだろうと思いました。恐れがあり、不安に

       なる私だけれど、私の神さまは私を守ってくださることに

       感謝し、周りの人に愛や喜びを感染させることができる人

になりたいものです。(2024年1月週報より)

 


      

 

 

 

        イエスさまは馬小屋でお生まれになり、マリアとヨセフ 

       に見守られた小さな誕生でした。初めに祝いに来たのは羊

       飼いたちでした。当時の社会から疎外され軽蔑されていた

       人々でした。大切な仕事をしているのに認められない人々

です。しかし彼らは救い主に出会い、讃美して帰りました。

 

        また数日後に、東方の博士たちが星に導かれて遠く旅し

       てきました。彼らは救い主に3つの贈り物をしました。こ

       こからクリスマスのプレゼントは始まります。博士たちも

       また、喜んで帰って行きました。救い主イエスさまに出会

       った人々は、みんな喜ん帰って行きました。現状は苦しく

軽蔑される場所でも、彼らの心が変わったのです。

 

        世界ではじめのクリスマスは、今から2023年前です。

       それはイエスさまのお生まれは、歴史をB.CA.Dに二

       分する出来事です。小さな誕生と思われた出来事は、今や

世界中で祝われています。

 

        馬小屋お生まれになったイエスさまは、十字架で亡くな

       り、3日目によみがえられ、生きる私たちに希望を与え、

       愛を見せてくださいました。私たちには変えられない過去

       があります。忘れられない過ちがあります。不安が心を覆

       うことがあります。誰でも迎える悲しい別れ、死がありま

       す。私たちのすべてを知って、今日も愛し、どんな時も希

       望を与える救い主イエスさまがおられます。そのことを信

       じた人たちは、色々な試練の中でも祈りと聖書の言葉を頼

りに歩んでいます。

 

        新しい2024年は、平和な年になってほしいと強く祈

       ります。どんな年になるかはわかりません。私は聖書の言

葉を贈ります。皆様の上に祝福をお祈りいたします。

 

          「わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく

          知っている――主のことば――。それはわざわいではなく平

          安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるた

          めのものだ。」(エレミヤ29:11)

 

 

 

 

 


 

     本日は、召天者記念礼拝です。私たちの教会の家族が先に

     天に帰ったことを覚え、私たちも再会を信じ信仰を確認する

     ときです。先に召された方の中には、何年も何十年も礼拝を

     共にした方もおられますし、礼拝は共にできなかったのです

     が教会の祈りに支えられ天国を信じ平安をもって歩まれた方

     もおられます。年齢も職業も教会とイエスさまとの出会いも

     様々です。共通することは、イエスさまの十字架の血によっ

     て自分の罪が赦され、3日目によみがえられたイエスさまを

     信じ、死の恐怖から解放されたということです。そして教会

     の家族と共に祈り合い、励まし合い、支え合ってきました。

     天で再会するその日まで私たちは、互いに励まし、地上の歩

みを主と神の家族と共に歩んでいきましょう。

 

      今日は、洗礼式もあります。姉妹がイエスさまを信じ、

     洗礼をお受けになります。これは教会にとって大変嬉しい事

     です。天では神の御使いに大きな喜びがあります。これから

が新しいスタート、第二の人生です。おめでとうございます。

 

      人生は色々あります。先に召された方々も、病気になられ

     長い闘病生活を送られました。また孤独の中を祈りによって

     耐えていかれました。自分の信仰に落ち込むこともあったで

     しょう。しかし、主イエスさまを信じた者を主はどんな中で

     も赦し、守り、慰め、解決の道を開いてくださいます。

     姉妹を主が祝福してくださいます!またそのご家族も主は祝

     福してくださいます。主は見放さず、見捨てないお方です。

     一緒に御国目指して歩んでまいりましょう。神さまに感謝し

ます!!

 

      あるクリスチャンの方から祈りの要請です。国境なき医師

     団の一員の麻衣子さんのために祈って下さい(TVにも出演)

     「しばらくガザを出られそうにないけれどここで頑張ります。

     難民で溢れ、水もトイレも寝る場所もありません。私たちは

     外で寝泊まりしています。・・・トイレも千人に一つ、シャ

     ワーも浴びることができず、衛生状況は最悪です。毛布も取

     り合いとりあいです。・・・私たちも着の身着のままで出て

     きたので医療行為もできていません。そんな状況で、空爆は

     止まらず本当に大変なことになっています。」イスラエルと

     パレスチナ、ウクライナとロシア、世界の戦争が終わりよう

に、現地の方々特に弱い人たちを覚えて祈りましょう。

              2023年10月29日週報より

 


 

      運動会が無事終わりました。子どもたちは、保護者の方を前に

     頑張っていました。特にリレーでは、小さい組は楽しそうに、に

     こにこしながら走っていましたが、年中、年長になると、負けた

     くないという強い思いで懸命に走る姿が見られました。子どもた

ちの成長する姿に感動を覚えます。お祈りと応援を感謝します。

 

      今週はどんぐり村に芋ほり遠足に出かけます。天候と安全のため

      にお祈りください。幼稚園の来年度の園児募集のためにもお祈り

ください。

 

 

 

      「モーセが手を高く上げているときは、イスラエルが優勢にな

     り、手を下ろすとアマレクが優勢になった。モーセの手が重くな

     ると、彼らは石を取り、それをモーセの足もとに置いた。モーセ

     はその上に腰掛け、アロンとフルは、一人はこちらから、一人は

     あちらから、モーセの手を支えた。それで彼の両手は日が沈むま

で、しっかり上げられていた。」(出エジプト17:11~12)

 

      エジプトから脱出したイスラエルの民は、旅を続けました。前

     は海、後方からはエジプトの戦車等が追いかけてきました。人々

     は恐れましたがが、神さまは不思議な力で海に道を開き、イスラ

     エルの人々を守られました。これはイスラエル民族にとっては、

     忘れることができない神のみわざとなりました。さらに旅を続け

     ていくと、アマレク人がイスラエルに戦いを挑んできました。上

     記のみことばはその時のことです。モーセが祈りの手を上げてい

     る時はイスラエルが優勢になり、モーセが疲れて手を下げるとア

     マレクが優勢になったのです。それを見たモーセの兄のアロンが

     石を持ってきてモーセが疲れないように、また手が下がらないよ

うに手を支えたのです。そうやって戦いに勝利しました。

 

      私はここを読んで教えられました。私が疲れている時にも誰か

     が私のために祈って支えてくれている。だから私は、疲れても倒

     れないのだなと思ったのです。モーセにアロンやフルがいたよう

     に、私にも教会の皆さんの祈りがあるのだと思ったのです。もち

     ろん皆さんにもそうです。私たちには弱さがあります。時には祈

     れなくなったり、疲れたり、信じる事よりも問題が見え不安にな

     る時があります。しかし覚えて下さい。あなたの手を支えていて

     下さる方がおられます。あなたを忘れることなく、いつも祈って

     くださる教会の家族、そして、いつもとりなしていて下さるイエ

     スさまがおられます。