コラム  (週報ー風ーより)


「彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、

     主の臨在の御使いが彼らを救った。その愛とあわれみによって、主は彼らを贖い、

  昔からずっと彼らを背負い、担ってくださった。」(イザヤ63:9)

 

 今日で5月が終わり、梅雨の6月を迎えます。この月も神さまの守りと助けをお祈りします。

 ある方とお話しして、昔からの苦しかったこと悲しかったことをずっと話されます。「いやだった」「苦しかった」「つらかった」ずっと話されます。本当に大変だったろうと想像しながら聞いています。あなたはいかがですか?今の人生を振り返って一番苦しかったときは、いつでしょうか?もしかして、今が一番苦しいと言われるかもしれませんね。そんな時は、神様に見捨てられたような気持になりますね。クリスチャンであっても祈りが届かないような感じがします。

 上記のイザヤ書は、神様に選ばれ愛されたイスラエルが捕囚となり国を奪われ人々が失望していました。神さまからすれば、イスラエルは神さまに愛され大切にされた国民であるのに、神様に感謝もせず自分勝手な道に進んだゆえに神様は、試練を与え神に立ち返るのを待っておられるというのです。神に捨てられたと思い失望する民に預言者イザヤを通して語られたのです。「彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ」と神様は喜んで試練を与えたのではないのです。いつも神様も共に苦しんでおられたのです。神さまは、イスラエルが立ち返るのをずっと待っておられたのです。

 あなたや私の苦しみを神様は傍観しておられません。その苦しみの中で神様も苦しみ、神様に頼る日をまっておられます。苦しみの中で、一人ではなく神様がこの苦しみを知って下さっていると思うとき私たちは、力を得るのです。目に見えませんが共にあなたと共におられる神様を仰いで歩んで生きましょう。苦しみの中にいる人のためにお祈り致しましょう。

 

 


「たとえ山が移り、丘が動いても、

  わたしの真実の愛はあなたから移らず、

 わたしの平和の契約は動かない。

  ーあなたをあわれむ方、主は言われる」(イザヤ54:10)

 

 新型コロナウイルスによって緊急事態宣言が発令されて、教会での礼拝は中止し、家庭で礼拝を守っていました。しかし5月17日から礼拝できるようになりました。感謝です。第2波、第3波も心配されていますが祈るのみです。日本の為、世界のためにお祈りいたしましょう。

 

 ときどき神様わたしの祈りを聞いておられるなかな?と思うことや神様の愛を感じることができなくなるようなつらいことを経験するのではないでしょうか。人から見れば、大きな事でなくても自分では辛く思えることがあります。ないほうがいいですが、私たちは人生を歩む中でそんな時を過ごします。まるで出口のないトンネルにいるような…。神さまを信じ祈っているのに祈りがとどいていないようなそんな時です。私もそんな風に思えるときがあります。そんなとき祈りの言葉もでないようなときは、聖書の言葉を何度もいいます。

 上記の聖書の言葉は、慰めになるといいです。「山が移る?丘が動く?」ありえないようなことです。信じられないようなことが起こっても、神様の愛はあなたから移らないし、平和の契約は動かないというのです。一見愛されてないと感じることがあっても神さまの愛は、変わってないんだということです。あなたがそう感じているだけだというのです。そしてあなたを憐れむ方がおられるのです。なんどもこの御言葉を言い告白しましょう。

 そして神様にありのまま祈りましょう。「私は今くるしいです。」「どうしてこんなことが・・」そして今まで神様によってなされたことや人々を通してなされた感謝なことを思い出しましょう。きっと今の状況も神さまの力によって乗り越える道が、開かれ知恵が与えられることでしょう。

「私たちすべてのために、ご自分の御子さえも惜しむことなく死に渡された神が、どうして御子とともにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがあるでしょうか。」(ローマ8:32)

「2羽の雀は、2アサリオンで売られているではありませんか。そんな雀の一羽さえ、あなたがたの父の許しなしに地に落ちることはありません。あなたがたの髪の毛さえも、すべて数えられています。」(マタイ10:29,30)

十字架で愛を示され、死んで3日目によみがえられた恵みの神様が、あなたと共におられます。今週も主と共に歩みましょう。

 


「女が自分の乳飲み子を忘れるだろうか。

  自分の胎の子をあわれまないだろうか。

   たとえ女たちが忘れても、このわたしは、あなたを忘れない。

 見よ、わたしは手のひらにあなたを刻んだ。」(イザヤ49:15)

 

 みなさまいかがおすごしでしょうか。

 5月10日は母の日です。今年の母の日は、新型コロナウイルスの影響で母に会えない、一緒に食事ができないと残念に思っておられる方もおられるでしょう。どんな人にも神様は、お母さんを与えて下さいました。

 お母さんは、子どものことをいつも思っています。ご飯を食べているかな、元気でいるか・・・。ここにあるように特に幼い子を乳飲み子をもつ母親は、年中気を配っています。胎内に宿した胎児を思いやります。しかし、

もし忘れるような母親がいたとしても、「わたし(かみさま)は忘れない。」と言われるのです。神さまは私たちのことを忘れないのだというのです。自分は、親から愛されなかった、だれも自分を覚えてくれていないと言いたくなるようなことがあっても聖書の神様は、あなたを忘れてないよと言ってくださっているのです。

そして、神様の手のひらにあなたを刻んだ、刺青のようにいつもあなたの名があるというのです。それは、十字架の傷です。あなたの死への恐怖、孤独、誰にも愛されていないという苦しみ、忘れてしまいたいような罪を全部引き受けてイエス様は、十字架にかかって死んでくださいました。あなたのためにわたしのために痛みを負ってくださいました。なんという愛ですか。私たちが神様を知らない、頼んでないのに神様は、愛をあらわされました。そして3日目によみがえられ、生きておられます。今もあなたのために天でとりなしておられます。

 神さまの愛をぜひ信じてみませんか。神さまは、あなたを招いておられます。母親があなたを十分愛してくれなかったかもしれないでも神様は、あなたを愛しておられます。子どもを十分に愛せなかった、そうです私たちの愛は不十分です。後悔に苦しんでおられる方イエス様は、あなたをゆるし慰めてくださいます。

 今新型コロナで疲れ苦しんでいる方のためにお祈りします。神さまの愛が注がれてそれを感じることができますように。不安や恐れがあるそのままを祈って下さい。神さまの言葉「あなたを忘れない」を信じて受け止めて下さい。あなたのためにお祈りしています。

「神様、わたしは、今孤独です。恐れ不安でいっぱいです。どうか助けて下さい。わたしを忘れないと言われる神様が分かるように、信じれるようにお願いします。わたしを助けて下さい。主イエス様のお名前によって祈ります。アーメン」

 

 

 


「地の果てのすべての者よ。

 わたしを仰ぎ見て救われよ。わたしが神だ。ほかにない。」イザヤ45:22

 

 みなさまいかかお過ごしでしょうか?

 「おうちにいましょう」といわれてゴールデンウイークがはじまりましたね。ある方は、新型コロナの恐怖の中で、仕事して私たちの生活を守っていてくださいます。また医療にかかわって命と向き合っていてくださいます。

ほんとうにそのような方々に感謝いたします。

 教会も政府の方針を受け5月10日まで家庭で礼拝をしていただいています。また説教をホームページから聴いていただけます。

 こんな中「神様はどこにおられるのか」と感じることはありませんか?わたしの苦しみをご存知だろうか?

と思い孤独にさいなまれることがあるかもしれません。イザヤ書の45章には、世界を造った神さまが書かれ、わたしが神だという言葉が何度もあります。新型コロナで私たちは不安になりますが、季節は移り変わり確実に夏になっていきます。花々をみると実に繊細に細やかに造られています。人間の作ったものではありません。神業としか言いようのないものです。そんな神様が見える形で、この世界にお出で下さいました。それがイエス・キリストです。あなたを愛するために、十字架で死んでくださり、3日目によみがえって今日も今も生きておられ、あなたや私のために天でとりなしておられます。そのお方を仰ぎ見なさいと言われるのです。

 悲しいこと希望を失うことありますね。でもあなたの痛みを知っておられるのは、イエス様だけです。ぜひ

目を閉じて祈って下さい。

 

「神様。私は神さまあなたのことはよくわかりません。しかし神様を知りたいです。イエス様のことを知りたいです。どうぞ教えて下さい。わかるようにしてください。だれにも愛されてないと思うことがあります。どうぞ神様の愛をしらせてください。イエス様のお名前によっていのります。アーメン」

 

 そんな心をもってぜひ聖書のメッセージ説教のコーナーをクリックして聴いてくださいね。


 …神なる主はこう言われる「わたし、主は、義をもってあなたを召し、あなたの手を握る。あなたを見守り、あなたを民の契約として、国々の光とする。」(イザヤ42:6)

 

 手を握られた事ありますか?子どもの時やさしいお母さんの手に握られた事思い出します。病気の時に誰かに

にぎってもらったことありますか。

 ここには、神様が「あなたの手を握ると」あるのです。あなたが神様の手を握れなくても神さまがあなたの手を握ってくださるのです。優しい手です。目に見えないけれどもあなたの手を握って下さっています。今孤独をかんじているかもしれませんね。新型コロナによって人と会えない、どこにも行けない淋しさや孤独を感じるあなたの手を握っておられるのです。

 その手をどんなてでしょうか。その手には、けがのあとがあります。ケガ?そうです。イエス様は十字架の上で死なれたのです。十字架に掛かった時の釘の跡がついた手です。それは、あなたを私を愛する釘のあとです。あなたの罪を赦すためです。また死の恐怖におびえる私たちのために掛かって下さった十字架の愛のあとです。十字架にかかられたイエス様は、3日目によみがえられました!そして目に見えませんが、「あなたの手を握り、見守って」下さるお方です。その愛を感じて下さい。手を洗うたびに、手を見るたびに、祈りの手を合わせるたびに手を握って愛して下さる神様の愛を感じてください。

 今私たちは、非常事態の時代を生きています。不自由です。しかし目を神様に向けて神様の愛を感じていきましょう。空や花を見ましょう。神さまが造られた恵みがたくさんあります。今の時神様の恵みを感じることができるように心からお祈りしています。

 

 











  No.2302015年11月1日

  11月になりました。秋の空をバルーンが飛んでいます。下ばかり見が

 ちな私たちですが、空を見上げ主をあがめたいものです。

  先週の第一礼拝では、旧約聖書のルツ記を読みました。ナオミは夫エリ

メレクとふたりの息子とイスラエルに住んでいましたが、飢饉があり、彼

らはモアブという外国に住むことになりました。二人の息子はモアブの娘

を妻にし、6人で住んでいました。しかし、ナオミの夫エリメレクと二人

の息子は亡くなりました。残されたのは年老いたナオミと二人の嫁です。

ナオミの悲しみははかり知れません。ナオミはふるさとベツレヘムに穀物

が取れるようになったと聞き、故郷に帰る決心をします。そこでモアブ人

の二人の嫁に実家に帰るように促します。再婚出来ればそれがいいという

願いです。二人の嫁は泣き、一人の嫁は、帰る事にします。しかしルツと

いう嫁は、「あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住

みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。」(ルツ1:16)

と言い、年老いた義母ナオミから離れず共にベツレヘムに行きます。ルツ

にとってイスラエルは外国で不安もありましたが、義母ナオミとその神を信

じ生活を始めます。当時ゆるされていた落ち穂を拾って生活します。それが

はからずも遠い親戚ボアズの畑です。ボアズはナオミやルツのことを聞き、

配慮し大切にします。その後ボアズとルツは結婚し、オベデが誕生します。

オベデは、ダビデの祖父、その子孫として、やがてイエスさまが生まれま

す。イエスさまはユダヤ人ですが、その系図の中にはモアブ人の血、すな

わち異邦人の血も入っています。イエスさまは世界の救い主なのです。

 ナオミとルツの人生は、悲しみの多い人生でした。しかし、神さまはそ

の涙を喜びに変えて下さいました。神さまは涙を喜びに変えることがおで

きになります。あなたの涙も神さまはご存知です。信じてみませんか?

                  佐賀神の教会伝道師 相原幸紀美  


 No.2292015年10月25日

  秋の良い日が続いています。町の街路樹も少しずつ紅葉し、秋の豊かさを

感謝します。

さてヨセフ物語も終わりです。兄たちにねたまれエジプトの商人に売られ

たヨセフですが、彼と共に主がおられ苦難の中にも忍耐と慰めが与えられま

した。ヨセフがエジプトの王パロの夢の解きあかしをして、エジプト王に次

ぐ権威者となります。30歳のヨセフです。7年間の豊作の後、ききんがエ

ジプト全土と周辺国に起こります。人々はエジプトに食料を求めて来るよう

になりました。ヨセフの父イスラエル(ヤコブ)も兄たちに命じてエジプト

のヨセフの元に食料を買いに来ます。兄たちにはヨセフとは分かりません。

自分が売ったヨセフがまさかエジプトの権威者になっているなんて夢にも思

わないからです。しかしヨセフには分かるのです。自分を売った兄たちの背

後に両親が見えてきます。ヨセフは両親が元気かと聞きます。すぐには身許

を明かさず兄たちが、変わったかを知ろうとします。色々な手段で少しずつ

兄たちを観察します。第45章には、もう自分を制することが出来ず、泣き

ながら兄たちに自分がヨセフだと告白する姿が描かれています。ヨセフは、

兄たちに自分のことで心を痛めないようにと配慮ある言葉を話し、その上で

「今、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、実に、神なのです。」

(45:8)と言います。その後ヨセフは、一族をエジプトに呼び寄せます。

父との再会を果たすのです。

苦難の中で彼の人格も育ちました。彼が権威ある立場につくための神さま

からの訓練だったのかもしれません。神さまは、私たちの人生にも計画をお

持ちで、無駄なことは一つもありません。ヨセフは兄たちに「あなたがたは、

私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいまし

た。」(50:20)と。どうぞ創世記37-50章をお読みください。

              佐賀神の教会伝道師 相原幸紀美     


   No.2272015年10月18日

   先日のコリアンカフェ、秋のコンサートに昨年も参加された方や久しぶ

りの方、韓国語教室の方がお出で下さり感謝します。スヨンロ教会のご婦

人たちは、仕事の都合を合わせ、家族の理解を受け、自分を献げて、教会

から派遣されて宣教のためにお出で下さいました。感謝します。

 ヨセフ物語は、わたしたちを励まします。ヨセフは兄弟によってエジプ

トの商人に売られます。愛する両親から引き離され、言葉も文化も違う所

に置かれます。たった一人と感じます。しかしひとりではないのです。

「主がヨセフとともにおられたので、彼は幸運な人となり、そのエジプト

人の主人の家にいた。」(創世記39:2)主、神さまがヨセフと共におら

れたと聖書はいいます。何度も記しています。しかしその主人の妻にはめ

られ獄中に入れられます。「しかし、主はヨセフとともにおられ、彼に恵み

を施し、監獄の長の心にかなうようにされた。」(39:21)獄中でも神

さまは共におられたのです。その中で夢を説き明かします。ヨセフは解き

明かすのは自分ではなく神さまですとはっきり言います。夢の通りになっ

たら思い出してくださいと言いますが、ヨセフは忘れられてしまいます。

2年も。

上手くいきそうで行かないそんなことないですか?お祈りをしてもなか

  なかかなえられず苦しむことがあります。しかし神さまは、あなたを見捨

てたり見放したりされたわけではないのです。ですからわたしと共に神さ

まがおられることを信じて置かれたところで真実に誠実に歩むことが大切

です。あなたに与えられた仕事、主婦としての勤め、子育て、介護そのあ

なたとともにおられる神さまは、時が来たときに不思議な恵みを下さいま

す。信じてこの週も歩みましょう。

              佐賀神の教会伝道師 相原幸紀美



 No.2262015年10月11日

   幼稚園の運動会のためにお祈りいただきありがとうございました。大き

な怪我もなく楽しい運動会を行う事が出来感謝しています。明日は、コン

サートです。6時からです。また3時ぐらいからコリアンカフェを開きま

す。ゆっくりと交わりの時としたいと思います。ぜひお越しください。

 先週の第一礼拝からヨセフ物語が始まりました。創世記37章からヨセ

フの人生は、書かれています。ヨセフの父は、イスラエル(ヤコブから改

)、彼には11人子どもがいました。ヨセフは10番目の子どもですが、

一番愛された子どもです。特別な服を作ってもらいヨセフ自身も喜んでい

たようです。ヨセフは、兄たちからねたまれているのに、夢の話をします。

「麦の夢」(37:7-8)と「天体の夢」(37:9-11)です。ます

ます兄たちのねたみは強くなります。兄たちは羊飼いでした。父はヨセフ

に兄たちの様子を見に行くように命じます。兄たちは、遠くにいるヨセフ

を見つけ殺そうと企てます。年長のルベンは、密かに助けようと思い、殺

すことには反対します。結局は、ルベンがいないときにエジプトに向かう

商人にヨセフを銀20枚で売ったのです。兄たちは、ヨセフは雄やぎにや

られたと父に報告するのです。父の悲しみは、深いのです。ヨセフの人生

は、どうなることでしょう。

 ヨセフの人生は、波瀾万丈です。兄弟にねたまれ、おとしめられ、愛す

る両親から引き離される。なんという青年期でしょう。ヨセフは、泣き苦

しんだかもしれません。神さまに捨てられたのかと思ったのかもしれませ

ん。そんな彼の思いを越えて、実は深い神さまのご計画があったのです。

あなたの人生にも神さまのご計画があるのです。

イエスは答えて言われた。「わたしがしていることは、今はあなたには

からないが、あとでわかるようになります。」(ヨハネ13:7)

                 佐賀神の教会伝道師 相原 幸紀美



No.2252015年10月4日

   「彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、

    悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや

    過ぎ去ったからである。」(黙示録21:4)

    10月1日に古賀紀美子姉は、静かに眠るように息を引き取られ、

   天に召されました。病気が分かって約1ヶ月、見る見るうちに衰弱さ

   れました。1ヶ月前は自転車でお買い物もされていましたから驚きで

す。77年の人生でした。昭和44年に洗礼を受けられ、信仰の生活

を始められました。忠実に礼拝を守り、聖書に親しむことを喜びとさ

れました。私たちの教会には、2年ほど前にお出でになり「お役に立

つよりご迷惑をおかけする方が多いですが良いですか?」と言われ、

牧師が「私はそのためにいますから。」と答え、転会され教会の家族と

なられました。

ご病気になられてからは、告別式の話をされました。お花や写真、聖

書の箇所、讃美歌等を選ばれ、告別式では「沢山のご迷惑をおかけしまし

た。お許しください。また沢山のお祈りとご親切にありがとう。」

と伝えてくださいと言われました。亡くなられる数日も「主とともに」

と何度も言われ主の手にすがられ、天国への階段を登っているようでし

た。長年疎遠であったご兄弟に見送られ、讃美歌と聖書のみ言葉にすが

りながら静かに天に召されました。

 古賀紀美子姉のご苦労の多い77年、一人で淋しい時もあったでしょ

う。辛いことも悔やむことも、悲しいことも痛みもおありだったでしょ

う。しかし今は主のそばで、すべてから解放され、再臨の日まで眠って

おられます。いつか主の前で再会できるのを楽しみにしています。ご遺

族の皆様、親しくされていた方々に天父のお慰めをお祈りいたします。

                 佐賀神の教会伝道師 相原 幸紀美



      No.2242015年9月27日

   皆さまにお祈りいただいています古賀紀美子姉妹ですが、今緩和ケアに

主と共におられます。讃美歌を一日中聞きながら安らかに過ごされていま

す。皆さまの祈りに支えられ感謝しておられます。続けてお祈り下さい。

 マタイ25:1-13を読んで下さい。そこに10人の娘たち(花嫁の

)の事が書いてあります。花婿が迎えに来て結婚式が始まります。娘たち

は、花婿が迎えに来るのを今か今かと待っています。携帯があれば良いで

すがない時代、遅れても連絡できず、嫁たちは、うたた寝をしたというの

です。いざ来た時に5人はすぐに迎え出ますが、あとの5人が余分に油が

なく手惑います。油を余分に持っている5人に分けてもらおうとしますが、

出来ず買いに行く間に花婿が行ってしまい、追いかけますが戸は閉じられ

たという話です。

 この話の花婿はイエスさま、娘たちは私たちです。イエスさまは、十字

架で死に復活され地上で人々にご自分を現せなさいましたが、その後昇天

されました。今は天で私たちのために祈ってくださっています。そのイエ

スさまは、再び来ると言われました。再臨といいます。しかしその時がい

つかは分からないのです。今日か明日か、20年後か・・・しかしイエス

さまは必ずこの地上に私たちを迎えるために来られます。その時のために

眠らないで目を覚ましてイエスさまに会う備えをしましょう。もちろん再

臨だけではなく、誰でも訪れる死を迎える備えが必要です。愛の神さまは、

待っておられます。

「主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅ら

せておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深く

あられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い

改めに進むことを望んでおられるのです。」(Ⅱペテロ3:9)

                 佐賀神の教会伝道師 相原 幸紀美



 No.2232015年9月20日

   とんぼが飛び、少しずつ穂が育ち、秋の風を感じます。神さまの

  恵みとあわれみが豊にありますように心からお祈りいたします。

   来週からNHK朝の連続テレビ小説「あさが来た」が始まります。

モデルは広岡浅子さんです。幕末から大正の時代という女性が表舞

台に出ることがまれだった時代を生きた女性です。幼いとき、裕福

な家庭に生まれたのですが、お嬢様ではなくおてんばに過ごします。

読書に興味を持ちますが女性に学問は必要なしと言われ、納得がい

かないものの読書を禁じられます。成長し、大阪の豪商に嫁ぎます。

自由が与えられ勉強することが許され、算術などを勉強し、夫の代

わりに商売の前線にたちます。その後炭坑事業にも進出しました。

非常な困難があり、自分の人生を「九転び十起き」と表したようです。

女子教育にも力を入れ、現日本女子大学の設立にも協力をします。し

かし六十歳の時に大病をし、内外の仕事を整理します。手術後目覚め

たとき自分のいのちは天が何かせよといって貸したものではないかと

考えます。その後一人の牧師と出会い、信仰の道を求めます。救世軍

の山室軍平からも導きを受けました。軽井沢で祈ったとき、自分の高

慢さを示されて悔い改めの祈りをし、救われました。

その後は、福音を伝える者となるのです。不屈の精神も見習いたい

ですが、自分の力で生きてきたと思っていたが実は生かされていたと

知ってすべてに感謝する彼女の生き様が素晴らしいのです。何度転ん

でも起きた最後は、神さまのみ手によって起こされたということでし

ょう。神さまはあなたの手も握っておられ、励まし起こして下さるお

方です。

                 佐賀神の教会伝道師 相原 幸紀美



  No.2222015年9月13日

  先週関東・東北地方では、大変な水害がでました。川が決壊し家が流され

救助を待つ人の姿が映像として映し出されました。想像を超えた雨に、皆驚

きと悲しみでいっぱいです。一日も早い復興をお祈りしましょう。

先週の第1礼拝は、マタイ20章1-16節のぶどう園の主人の話でした。

ぶどうの収穫の時期となり主人は、人を雇いに出かけます。朝6時ぐらいで

しょうか、1デナリの約束でした。ぶどうは実り、早く収穫しないとダメに

なってしまいます。主人は9時にまた人を雇いにいきます。でも間に合わず

12時、3 時にも出かけていき雇うのです。夕方5時にいくと一日雇われ

ずにいる人々がいます。なぜ一日中ここにいるかと訪ねると誰も「雇ってく

れないからです」()聞いた主人は、あなたがたもぶどう園に行くように命

じます。それからほどなく賃金を払う時になりました。最後に来た人から払

うのです。みんな平等に1デナリです。すると朝早くから働いていた人が最

後の1時間しか働いていない人と同じ賃金とはおかしいと文句を言うのです。

このたとえを読んでどう思いますか?私は、最後の人に1デナリあげたの

は優しいいい主人だと思います。しかし朝早くから暑い中がんばって働いた

人が文句をいうのもわかります。どうでしょうか。ぶどう園の主人は、神さ

まなのです。神さまは、すべての人を愛して下さり、信じる者を救ってくだ

さいます。能力や努力に応じる救いではないのです。朝早く雇われた人は、

この主人のそばで働ける喜びを忘れてしまったのです。遅く来た人は、もう

あきらめていたのに雇ってもらえた喜びを感じたことでしょう。神さまは、

何も出来なくても愛して救って下さいます。先に信じた私たちは、この気前

の良い主人のそばにいる感謝を忘れてはいけません。

主は遠くから、私に現われた。「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。

それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。」(エレミヤ31:3)   


No.2212015年9月6日

   園庭にたくさんのとんぼが飛んでいました。秋を感じます。暑い夏が

  過ぎ秋を迎えます。感謝な事です。しかし、色々な課題を抱えておられ

る方々、人知れず苦しみ祈っておられる方々を覚えます。主は、あなた

のことを心配しておられます。一人ではない!なんと恵みなのでしょう。

 「ゆるす」ということは、簡単ではありません。日本には「仏の顔も

3度まで」という言葉がありますが、イスラエルでもゆるしは3回まで

であったようです。ある時、弟子のペテロがイエスさまに「何回まで人

をゆるすべきでしょうか?7回までですか?」と聞きます。3回を越え

ているので褒められるかと思いきや、7回を70倍するまでと言われま

す。これは490回という意味ではなく、無限にということです。

 そこでイエスさまは、一つのたとえを語られます。王が借金の清算を

し、1万タラント(6千億円)借金のあるしもべに返済を求めた。生涯返

せるような額ではないのですが、ひれ伏して猶予を懇願する彼を全額免

除してやったのです。そのしもべが喜んで出て行く途中に、百万円貸し

ていた人に会い返済を求めたというのです。同じようにひれ伏して猶予

を求めたのですが、彼はゆるさず牢に入れたというのです。それを聞い

た王は、しもべを呼び獄吏に引き渡したというのです。自分はゆるされ

たのに、他者をゆるさなかったという話です。

 私たちは、ゆるすことが難しいですが、他方ではゆるされて生きてい

る存在です。知らないところで人を傷つけているのに、自分で気づかな

いでいるだけかもしれません。イエスさまは、そんな私たちのために十

字架で死んで下さりよみがえられたのです。あなたもわたしもゆるされ

たお互いなのです。ですから、ゆるせない自分を認めながら、祈ってゆ

るして愛していける人になりたいのです。

              佐賀神の教会伝道師 相原幸紀美



No.2202015年8月30日

   夏休みもあと一日、幼稚園にも元気な園児たちの声が帰ってきます。沢

山の夏の思い出を話してくれることでしょう。非常に大きな台風が過ぎ、

このところ、朝夕は涼しくなり本当に感謝です。

 先週の第一礼拝では、おろかな金持ち(ルカ12:13-21)を学び

ました。群衆の一人がイエスさまに遺産相続を円滑に出来るようにして下

さいと相談に来たのです。兄とのことでもめていたのでしょう。イエスさ

まは、たとえをもって答えられます。ある金持ちの畑が豊作で、入れてお

く所がないと思い、倉を大きくしようとするというのです。その金持ちは、

「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心

して、食べて、飲んで、楽しめ。」と言うのです。しかし、いのちは神さ

まのもの。いのちが取り上げられたら、その用意した物は誰の物になるの

か、と言われたのです。イエスさまは、蓄えることを否定したのではあり

ません。与えられている物は神からの恵みであり、主が祝福してくださる

ことを感謝し、その恵みと祝福を人と分かち合う者となるように願ってお

られるのです。

 貪欲は、人をおろかにします。無くなることを恐れ不安にします。満足

できず、我慢できなくなります。神さまは次のような約束を与えて下さっ

ています。「金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので

満足しなさい。主ご自身がこういわれます。『わたしは決してあなたを離れ

ず、また、あなたを捨てない。』」(ヘブル13:5)

神さまは、あなたや私たちの必要を知っておられます。与えられているも

のを感謝し知恵をいただいて歩みましょう。十字架で死んで復活されたイ

エスさまはあなたを愛しておられるのですから。

              佐賀神の教会伝道師 相原幸紀美



No.219 2015年8月23日

   朝、夜ほんの少し涼しくなってきた気がします。朝ツクツクボウシが

  鳴くのを聴いて夏も終わりだなと感じました。

   ルカ10章25節からを先週学びました。一人の律法の専門家が、イ

エスさまをためそうと「何をしたら永遠のいのちを自分のものとして受

けることができるでしょうか。」と質問しました。イエスさまは、律法に

なんとあるか?と返します。律法の専門家は、神と人を愛することだと

知っており、「では、私の隣人とは、だれのことですか。」と質問します。

そこで『よきサマリヤ人』のたとえをイエスさまは話されます。

 ある人が強盗にあって瀕死の状態にあったのです。そこに初めに通った

のは、祭司でした。同じユダヤ人であり神に仕える人。きっと助けてくれ

ると思いきや道の反対を通っていってしまうのです。次はレビ人。この人

も神に仕える人々から尊敬されていた同じユダヤ人ですが、やはり道の反

対を通過します。そこに日頃仲の悪いサマリヤ人が通ったというのです。

民族同士の不仲に関係なく、「見てかわいそうに思い、近寄って傷にオリ

ーブ油とぶどう酒を注いで、ほうたいをし、自分の家畜に乗せて宿屋に連

れて行き、介抱してやった。」(33,34)自己犠牲を惜しまず、助ける

姿を話し、「誰が隣人になったか?」とイエスさまは問い、あなたも同じ

ようにしなさいと話しました。隣人とは誰かという問いに、助けを必要と

し、愛を必要とする人があなたの隣にいるその人だと言われました。

 私たちは、色々な理由をつけて限定した人を愛することをしています。

でもイエスさまは、傷つき苦しんでいる私たちに、反対側を通らないで目

を留め、かわいそうに思い、十字架の痛み、いのちの犠牲を払って下さい

ました。私たちは、この愛を知っています。この愛に答えて、隣人を愛し

て歩みたいのです。    佐賀神の教会伝道師 相原幸紀美



No.218 2015年8月16日

   13日14日と嬉野キリスト教会へ中高生のお泊まり会へ行って来ま

した。二つの教会合わせて10人にスタッフ5人でしたが、仲良くなり、

それぞれに色々学ぶ事が出来ました。クリスチャンは、日本では、1%

以下です。ましてこの佐賀は、もっと少ないことでしょう。中高生は、

各学校においてクリスチャンは一人ぐらいです。しかしこのように集ま

るとき話すとき、みんな置かれたところで祈りながらいるんだと励まさ

れます。悩み葛藤の多い世代だからこそ信仰を持つことの素晴らしさを

感じて欲しいのです。先週お出で下さった井上先生の説教にもありまし

たが、次世代を育てて、行くことの大切さと責任を感じます。

 双子の兄弟エサウとヤコブは、争いの後離れ離れで20年過ごしまし

た。ヤコブにとって20年ぶりの帰郷は、嬉しいよりも不安でした。20

年前の事とはいえ、兄のエサウの恨みや怒りは収まったか不安です。ヤコ

ブは、沢山の土産を携えエサウの機嫌を取ろうと準備します。しかし不安

はぬぐえず神さまとの格闘、祝福を受けなければ進めない自分を知ったの

です。神さまから祝福を頂き、安心してエサウと会いました。

「エサウは彼を迎えに走ってきて、彼をいだき、首に抱きついて口づけし、

ふたりは泣いた。」(創世記33:4)

20年ぶりの再会は、涙の再会です。エサウもヤコブを赦し、受け入れ

ることとなりました。もう恨み辛みはなくなったのです。ふたりとも20

年間に色々な試練に会い成長をしていったのです。

 不安や心配は、自然とわき起こります。聖書の言葉とお祈りをすること

によって神さまにゆだねるようになっていきます。過去の許し難いこと

心の傷をぜひ神さまに話してみませんか?

       佐賀神の教会伝道師   相原幸紀美



   No.217 2015年8月9日

   なかなか雨も降らず大変暑い毎日です。主が心身共にお守り下さるよう

にお祈りいたします。

   さて本日の礼拝は、井上真樹先生、輝子先生においで頂きました。今は、

  大分の佐伯市にあります、佐伯福音キリスト教会の協力牧師をしておられ

ます。以前は中国で宣教をなさっておられました。そのレポートもお聴き

できることを楽しみにしています。

 先週の第1礼拝はヤコブが、兄をだました事によって住み慣れた家を出、

伯父ラバンの所に行く途中での出来事でした。住み慣れた地を離れ、両親

から離れて会ったこともない地に行く恐れと不安、過去の自分の犯した罪

の後悔が、ヤコブの心を支配していました。石を枕に横たわったとき彼は

夢を見ます。一つの梯子が地に向けて立てられ、天の使いが上り下りして

いるのです。その時ヤコブは、主の御声を聴きます。

「わたしは、あなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。わたし

はあなたが横たわっているこの地を、あなたとあなたの子孫とに与える。・

・・わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを

捨てない。」(創世記28:13-15)眠りから覚めたヤコブは、「まこと

に主がこの所におられるのに、私はそれを知らなかった。」(16)と告白

します。ベテルの地での出来事です。

 ヤコブは、孤独と寂しさ、罪の中で神さまと出会ったのです。私の神さ

まとなったのです。信仰のスタートです。わたしは、小学生の時幼いなが

ら神さまと出会い感謝しています。長男もこの経験をして欲しいと祈って

います。多くの方が「主がこの所におられる」経験をしていただきたいの

です。あなたのために祈っておられる方がいます。

               佐賀神の教会伝道師 相原幸紀美



No.216 2015年8月2日

   朝から暑く、夜も寝苦しい毎日ですね。しかし、そんな暑いとき少しの

  風に嬉しさを感じます。上手に暑さ対策をしていきたいものです。

   第1礼拝の先週の話は、エサウとヤコブの双子の兄弟です。この双子の

  父はイサク、母はリベカです。この夫婦は20年間子どもが与えられず、

  祈りの課題でした。与えられたかと思えば、双子です。兄エサウは野性的

で、体は毛深く、父親に愛されました。弟ヤコブは、穏やかですべすべの

肌、母に愛されたようです。兄は当時のイスラエルでは、長子の権利とい

う大きな祝福を約束されていました。いくら双子でも兄は兄です。しかた

がありません。しかし、兄はその長子の権利を、自分の空腹を満たす食料

と交換してしまいます。その権利の重さを実感していませんでした。そん

な中、父イサクは年を取りいよいよ祝福の祈りをすることとなりました。

父は、エサウに、獲物を捕って料理して持ってきた後に祝福をしようと言

います。それを聞いていたリベカは、弟ヤコブをすり替え長子の権利を頂

くように、祝福の祈りをしてもらうように企てます。父イサクは、策略に

引っかかり弟ヤコブに祝福の祈りをしてしまいます。兄は弟を憎むように

なり、家族はばらばらになります。父も母もエサウもヤコブもこのことで

悲しみを負います。罪は人々を悲しませます。

 罪の結果苦しみ、家族がばらばらになるわけですが、主なる神は、双子

が生まれたときに「兄が弟に仕える。」(25:23)と仰せられています。

神のご計画がありましたが、それを知らず人は不完全な行動をします。リ

ベカに与えられた先の御言葉を、彼女は心に留めていません。愛するヤコ

ブが長子の権利をとってほしいとの一心です。やがてそれぞれが真に神と

向き合う事となります。創世記25章からぜひお読み下さい。

              佐賀神の教会伝道師 相原幸紀美



  No.215 2015年7月26日

    高岸幼稚園の行事は、不思議に晴れます。これには、背後にある皆さ

まのお祈りと神さまの恵みです。今回のお泊まり保育は、雨の予報で、

川は無理かな、バーベキューやそうめん流しも出来ないかなと心配して

いました。しかし、集合時間には晴れて暑くなり、夕方雨かなと思いな

がらも予定通り出来ました。年長組の5人のお友だち、思い出一杯出来

てよかったね。神さまはお祈りを聞いて下さいましたね。感謝。

 さて、先週の第1礼拝では、創世記24章のイサクの結婚の箇所から

御言葉を聴きました。イサクは、40歳になりました。母サラは亡くな

り、父アブラハムと共に暮らしていました。父はイサクのためにお嫁さ

んをと考え、祈り、一人の僕にまことの神を信じる女性をアラムの地か

ら連れてくるように頼みます。難題を頼まれた僕は神さまに祈ります。

自分に水を飲ませてくださいと頼んだとき、らくだにも飲ませましょう

と自ら言ってくれる女性を選ばれた伴侶と信じますと祈ります。祈りの

通りのことが起き、その女性リベカにイサクの妻になってくれるように

告げます。リベカは、神さまの御心と信じ受け入れます。彼女の家族も

「このことは主から出たことですから、私たちはあなたによしあしを言

うことはできません。」(創世記24:50)と承諾します。

 相手を見ないで結婚を決めたリベカに驚きます。今とは時代も違いま

すが、結婚相手を選ぶ任務を背負った僕の祈りがポイントです。自分で

は決められない、祈りなくしては出来ないと思ったのかもしれません。

その結果「このことは主から出たこと」とみんなが確信を持ちます。責

任の重さに苦しみ、悩むことがありませんか?自分でかかえず祈りませ

んか?神さまにあなたの今の思いを話してみませんか?

             佐賀神の教会伝道師 相原幸紀美



No.2142015年7月19日

   台風も過ぎ、子どもたちは夏休みとなりました。もう梅雨明けしたの

ではないかと思うような日差しです。夏には神さまが、体を冷やす食べ

物キュウリやトマトなどを与えて下さいました。暑さの中にも神さまの

恵みが隠されています。

 創世記22章を先週第1礼拝で学びました。100歳にしてやっと与

えられたイサクをアブラハムとサラは愛し大切に育てました。しかし神

さまは、このイサクを献げよとお命じになったのです。1節には、「神は

アブラハムを試練に会わせられた。」とあります。アブラハムに対する神

さまのテストです。神は仰せられた。「あなたの子、あなたの愛している

ひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。・・・イサクをわた

しにささげなさい。」(22:2)アブラハムにとってひとり子、愛して

いる子と知っているのに神さまは献げよと言われるのです。聖書は、次の

日アブラハムはその子イサクを連れてモリヤの山に行く様子を記します。

またイサクが「羊はどこ?」と問うことも記しています。ただアブラハム

の心は何も記されていません。自分の子を献げる「なぜ?」「どうして?」

との思いと、神さまが備えて下さるとの信仰で揺らぐ様子を想像します。

 試練に会うとき、「なぜ?どうして?」と苦しみ、祈ります。時間がか

かりながら神への信仰が与えられます。

アブラハムが従いイサクに手をかけようしたとき、主が羊を備えて下さ

いました。「主の山には備えがある。」(22:14)試練を通してアブラハ

ムは神さまの友となりました。

 試練は、辛く苦しいものです。逃げ出したいものです。しかし背後に神

さまの手が動いていることを忘れてはいけません。



No.2132015年7月12日

   急に暑くなりました。木曜日は、佐賀市が日本で一番暑かったとか。

今年は、今までが余り暑くなく夏の暑さを忘れていました。神さまが皆さま

と共にいて守って下さるようにお祈りいたします。きついときは、ゆっくり

休んで回復されますように心からお祈りいたします。

   第1礼拝では、このところアブラハム物語を学んでいます。先週は、イサ

クの誕生を学びました。アブラハムとサラは、神さまに長い間子どもを授け

ていただきたいと願っていました。しかし神さまは約束して下さっているも

のの、子どもはなかなか生まれません。二人は焦って、女奴隷ハガルに子を

産ませますが、その子は跡継ぎではありません。アブラハム99歳サラ89

歳の時に「来年子どもが生まれる。」との約束を受けます。二人は笑います。

神の使いは「主に不可能なことがあろうか。」(創世記18:14)と告げ、

翌年イサクが誕生します。人間的には不可能です。でも全能の神が事をなす

のです。二人の不信仰の笑いを神さまは喜びの笑いに変えて下さいました。

神さまに出来ないことはない、と信じています。しかしどこかでここまで

だろうと神さまの力を自分で制限することがあります。心でこんなお祈りが

答えられるのは難しいと笑っているのかも知れません。しかしそんな私たち

の不信仰と信仰が揺らぐ私たちの弱さを主はご存知です。

「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪

は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会わ

れたのです。ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、

おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではあり

せんか。」(ヘブル4:15-16)

   今週も全能の神に心を開いてお祈りするとき、本当の笑いが与えられます。



No.2122015年7月5日

    7月に入りました。先日幼稚園の子どもがセミのぬけがらを持っていま

   した。「もうセミがいたの?」というと「鳴いていたよ。」と。夏は近いと

感じました。梅雨が明けたら暑くなります。

 ある人と話す中で、言葉の恐ろしさと赦すことの難しさを感じました。

人の言葉によって慰められ、人の優しさによって生かされることがありま

す。しかし逆に人の一言によって傷つき、生きる力さえなくすという事が

あります。自分にされた事は、覚えています。赦したといっても覚えてい

ます。また逆に言った方は、以外と覚えていないのです。聖書に

舌を制御することは、だれにもできません。それは少しもじっとしてい

ない悪であり、死の毒に満ちています。」(ヤコブ3:8)とあります。

 確かに真実だと思います。ちょっと言われたことで傷つき赦せないと思

いますが、自分はどうだろうかと思います。知らず知らず言葉で、態度で

傷つけていたのかなと思ってお互い様だと思ったりします。しかしどこか

で相手を責め私は悪くないという思いが出てきます。祈る中で、本当にそ

うか?と問われまと、赦すとことの難しさを感じます。イエス様が私の罪

のために愛して痛みをもって赦すために十字架にかかって死んでよみがえ

って下さったのに、自分の姿を忘れ、人を責めることが多いと感じます。

私自身たくさんの方に赦されて生かされているのに、そのことを忘れて

いるのでしょう。人を生かす言葉を語りたいものです。

 今年度の教会のテーマ「いつも喜び、絶えず祈り、すべての事について

感謝」は非常に難しい事です。イエス様を見上げたとき出来るのかも知れ

ません。

              佐賀神の教会伝道師 相原幸紀美



No.2112015年6月21日

    今日は、『父の日』です。父の日にもらって嬉しい物は、なんですか?

   という質問で、一位は手紙、メールでした。物も嬉しいでしょうが、優し

い言葉や愛の思いを人は待っているのだと感じました。亡き父に思いを伝

えてなかったような気がして反省しました。

 テレビは、殆ど見ませんが「ドクター倫太郎」という番組は楽しみに見

ていました。詩篇23を思わせるオープニングも心を引きつけられました。

倫太郎という主人公は、共感を大切にする精神科の医師という設定です。

毎回色々な患者とのやりとりから教えられました。最終回では、「傷つけら

れて病気になった人には、薬や治療も大切ですが、もっと大切なのは愛だ

と考える」というようなことを言います。私は、本当だと思いました。

 人間関係で傷つくとき、自信を失い、自分は必要とされてない、愛され

ていないと感じるときどんなに体が健康でも心は病みます。そして体も病

んでいきます。強い人はそんなにいないでしょう。傷ついた人は、その傷

を知らず知らずに人に向ける事もあります。人は愛されたい、認められた

い、理解してもらいたいと感じているのです。そして自分を愛し、受け入

れてくれる人を捜しています。しかしなかなか見つかりません。人間は、

自分中心ですからひとときよくても、変わっていくのです。

 変わらないお方、いのちをかけて愛して下さる方、こちらがどんなに裏

切っても裏切らず、愛し続けるお方がイエス様は次のように言われます。

「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し・・」(ヨハネⅠ4:10)    

「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」(ヘブル13:5

 イエス様に愛されていることに感謝し、周りの人を愛し赦し祈って歩ん

でいきたいのです。

                       相原幸紀美



   No.2102015年6月14日

    あじさいの花は、雨の季節によく似合います。神さまは、私たちにあじ

   さいをもって慰めていて下さいます。きっと私たちが、雨をいやがり晴れ

を恋しがるので花を与え、雨期の季節を忍ぶように願っておられるようで

す。雨も大切です。ただ大きな被害がでないことを祈ります。

 「あなたがたの会った試練は、みな人の知らないようなものではありま

せん。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような

試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできる

ように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。」

                     (コリントⅠ10:13)

 上記の聖書の言葉は、有名で多くの人に慰めを与えているみ言葉です。

私たちは、思わぬ事に出会います。自分の人生にこんなことは考えていな

かったということに出会います。できれば起こらないことを願います。し

かし時として私たちは、苦しい中を通ります。自分の罪や過失のゆえだと

責めることもあります。しかし自分を責めないでください。試練の背後に

は神さまの計画がおありです。

 実は、この数日私も試練(?)のような状態です。また他の方の試練を

お聴きしました。どうしたらいいのか、祈って涙がとまらず、先のことを

思い煩います。しかし、上記の聖書のことばによりすがり祈っています。

 神さまは、真実な方です。あなたを苦しめる事が目的ではありません。

神さまはその試練の背後におられることを信じ、知って下さい。そして

互いに祈り、励まし、支えあって歩みましょう。

「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなた

のおきてを学びました。」(詩篇119:71)

             佐賀神の教会 相原 幸紀美



No.2092015年6月7日

    梅雨に入りました。あじさいの花がきれいに咲いているのを見てほっと

   します。子どもたちは、カタツムリ探しを楽しんでいます。

    教会のわきに花を植えています。そこに小さなトマトが生えてきまし

た。昨年トマトを植えました。思ったようには取れずちょっとがっかり

しました。そのトマトの種が落ちて今頃生えてきました。期待してもな

かったので驚きました。実がなるかはわかりません。

 幼稚園の年少組がキュウリをいま育てています。ツルがフェンスに絡み

つきました。その力の強いことにも驚きます。花が咲き始めキュウリの赤

ちゃんができはじめ子どもたちは喜んでいます。

 信仰も聖書のことばを聞いて成長します。

人によっては、聖書のことばを聞いてもその

時は興味がなく、忘れてしまいます。しかし

ある時ふと思いだしたり、教会に行ってみた

いなと思うこともあります。

 「たいせつなのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させて

下さる神なのです。」(コリントⅠ3:7)

神さまは、私たちを成長させて下さる方です。色々な試練が私たちに襲い

かかります。祈れないときがあります。聖書のことばをしっかりにぎって

神さまに信頼したいと思います。聖書の言葉は、大きな力になります。

「あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない

種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神の言葉による

のです。」(Ⅰペテロ1:23)


 No.2072015年5月24日

    今日は、ペンテコステ礼拝です。特別大切にする礼拝が、クリスマス

   とイースターとペンテコステです。クリスマスは、一般でも知られイエ

ス様の誕生が世界で祝われます。イースターは、十字架で亡くなられた

イエス様の復活を祝う日で、教会の中では祝われますがなかなか浸透し

ていません。ペンテコステは、残念ですが影が薄いような気がします。

しかし、教会が誕生した大切な日です。佐賀神の教会は、創立51年で

すが、実はここに私たちの源流があるのです。

 イエス様が、十字架にかけられ亡くなられ、3日目によみがえり、弟

子たちに現れ40日間、弟子たちや人々に生きておられることを現され

ました。その後生きたまま弟子たちの見ている中、天に昇って行かれま

した。非常に不思議な事で、弟子たちは天を仰いでたたずんでいました。

その後イエス様の「父の約束を待ちなさい」との言葉を思い出し、心を

一つにし祈ることをはじめました。彼らは、イエス様を失った失望感、

同じように捕まるかも知れない恐怖感を心に持ちながら祈りました。祈

りの中でイエス様の言葉を思い出し、自分の態度や思いを見直しました。

「父の約束」が何であるか分かりませんし、いつかも分かりませんが祈

り続けました。その時聖霊が降りました。それは恐れから解放され、イ

エス様の十字架と復活を分からせて下さる聖霊でした。聖霊が与えられ、

人々はイエス様のことを語りました。人々はその声を聞き信じ救われ、

教会が誕生しました。今日もここに聖霊は、働いて私たちに神さまの愛

を分かるように注いで下さっています。教会は聖霊の働かれる場所です。

「彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人

ほどが弟子に加えられた。」(使徒2:41)

佐賀神の教会伝道師 相原幸紀美



  No.2062015年5月17日

    新緑の美しい季節を迎えています。太陽の日差しは、暑くなりまし

たがそれでも日陰に入れば涼しさを感じます。爽やかなこの季節が続

くことを望みますが、確実に夏に向かっていることは否めません。体

調が守られますようにお祈りいたします。

 本日は、午後から墓前礼拝があります。先に召された方々を思い出し

ます。辛い中で共に祈る姿、笑顔、死に向かう中での信仰の戦いは、本

当に教えられました。死というのは、考えたくない事ですが、いつか必

ず迎えます。

 以前この教会の牧師をされていました工藤茂男先生は、癌であること

を聞いたとき死の準備を始めたそうです。家の近くの葬儀社に奥様と出

向き打ち合わせをされたそうです。奥様は、行きたくなかったそうです

が、牧師先生は「その時困らないために」と言われたそうです。讃美歌

を選び準備をされたそうです。もちろん生きるために治療や食事療法も

されました。癒しを信じておられました。しかしいつかその日は来るその

時、あわてなくてもいいように備えをされました。

 私たちは、神さまを信じていますが、家族との別れや死の時の状況は

分かりませんから恐れや悲しみが時々心を覆います。だれでも一抹の不

安があります。それは真実です。しかしその恐れや不安を祈れるから感

謝です。「神さま、こわいです。」と祈れます。そしてそれを受け止めて

下さるお方は、死を通って復活して下さったお方です。私たちも墓前礼

拝を機に復活信仰を心に強くしていただきましょう。

「ここにはおられません。よみがえられたのです。」(ルカ24:6)

佐賀神の教会伝道師 相原 幸紀美