コラム  (週報ー風ーより)


          


                    


        


        


                      


        


        


      

        


       


                  


        


         


風 No.248 2016年3月6日  

 3月になり、いよいよ春という感じがします。神さまの恵みを数えて  歩みましょう。   イエスさまは、ご自分がいよいよ十字架にかかる時が近づいていることを悟られました。3年半寝食を共にした弟子たちを最後まで愛されました。その愛を洗足という形で示されました。当時の社会では、奴隷が帰宅した主人やお客の足を洗ってから家にあがって食事をしたようです。イエスさまが自らたらいに水をくんで、タオルを腰にまとわれたというのです。そして弟子の足を一本ずつ洗い、拭き始められました。弟子は、きっと驚かれたと思います。ですから弟子のペテロは、「決して私の足をお洗いにならないでください。」と言っています。しかし、イエスさまは、洗わないと何の関係もなくなると言われました。イエスさまは、「模範を示したのです」と言われました。足を洗い合うこと、それは愛し合うこと、赦し合うことをイエスさまが示されました。これからイエスさまを裏切る足、イエスさまと同じように逮捕されることを恐れて逃げる足、そんなことをイエスさまは知って一本ずつ足を丁寧に洗い拭かれました。この時の弟子はよく分からなかったでしょうが、あとでイエスさまの愛を感じたことでしょう。

 私たちは、イエスさまに愛されています。しかし、隣にいる人のことを愛するのは難しいです。相手のことを赦すと言ってもどこかで赦せないのです。そんな私たちのためにイエスさまは十字架に向かって歩まれたのです。お互いそのイエスさまに赦され愛されている者として、愛し合い赦し合って歩みたいのです。

「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」(Ⅰヨハネ4:10)      伝道師 相原幸紀美


 

 No.2412016年1月17日

 

   昨日は、餅つきでした。子どもたちとご家族がお餅をつき、食べて

 

  楽しみました。お天気に恵まれ暖かな良い一日でした。皆さまのお祈

 

りを心から感謝致します。

 

 先週第一礼拝で、イエスさまの洗礼(バプテスマ)を学びました。

 

洗礼は、自分の罪を知り、自分勝手に生きてきた生き方を悔い改め、

 

新しく神さまと共に歩む人生に行き直すことです。イエスさまは、人

 

ですが神の子ですから罪をおかされませんでした。ですから、本来は

 

洗礼は、必要ないのです。ですからヨハネは「私こそ、あなたからバ

 

プテスマを受けるはずですのに、あなたが、私のところにおいでにな

 

るのですか。」(マタイ3:14)と言います。それに対してイエスさ

 

まは、「今はそうさせてもらいたい。このようにして、すべての正しい

 

ことを実行するのは、わたしたちにふさわしいのです。」(15)と言わ

 

れヨハネは、承諾しイエスさまに洗礼を施します。

 

 イエスさまは、私たちにも洗礼を受けてほしいと手本を示されました。

 

生き方を自分中心から神中心へ変えて欲しいと望んでおられます。また

 

イエスさまは、罪がないお方ですが、罪ある私たちと同じ低さまで下が

 

って下さいました。なかなか自分の罪を認めないのが人間です。でもイ

 

エスさまは、そんな私たちを知り低くなるように願っておられます。

 

 イエスさまの十字架への歩みは、ある意味でここからスタートします。

 

洗礼はゴールではなく、神さまと共に歩むスタートです。また洗礼を受

 

けたからといって罪を犯さなくなるのではないのです。より自分の弱さ

 

を知ることでしょう。しかしそのたびに「これは、わたしの愛する子、

 

わたしはこれを喜ぶ。」(17)という声を聴くのです。あなたも、イエ

 

スさまを信じ共に歩む者になりませんか。

 


 

No.2402016年1月10日

 

   明日は、成人の日の祝日です。成人になられた方おめでとうございます。

 

  神さまの愛と恵みが豊かにありますように心からお祈りいたします。

 

   イエスさまは、30歳ぐらいから神の国を伝えるいわゆる公生涯を始め

 

  られました。福音書は、イエスさまの誕生から急に公生涯の記事に飛び、

 

  幼いときのことは殆ど書かれていません。ただ、ルカの福音書に12歳の

 

時のことが書かれています。

 

 12歳になられた時、少年イエスは両親に連れられ、ナザレの町の人々

 

と一緒に旅をして、エルサレムで行われる過越の祭りに行かれました。帰

 

りに両親は、イエスがいないことに気づき探し回るのです。もう一度エル

 

サレムに戻って都合3日間探したようです。迷子になったと両親は心配し

 

ます。すると少年イエスは、神殿で当時の宗教者たちに教え、語り合った

 

りしておられたのです。母マリヤは「・・・見なさい。父上も私も、心配

 

してあなたを捜し回っていたのです。」(ルカ2:48)と言います。親の

 

子に対するもっともな言い方です。しかし少年イエスは「どうしてわたし

 

をお捜しになったのですか。わたしが必ず自分の父の家にいることを、ご

 

存知なかったのですか。」(ルカ2:49)と言われたのです。少年イエス

 

は、人であると同時に、神の子としてのご自分の使命をご存知でした。そ

 

の後、30歳まで父の大工の仕事を継ぎ、父亡き後は兄弟の面倒を見られ

 

たと思われます。人が感じるであろう苦労をイエスも経験して下さいまし

 

た。「イエスはますます知恵が進み、背たけも大きくなり、神と人とに愛

 

れた。」(ルカ2:52)苦労の中から知恵を学び、将来の宣教、十字架に

 

かって身体が出来、神と人を愛し、神と人から愛された少年時代でした。

 

 イエスさまの生き方を手本に、私たちも後に従ってまいりましょう。

 

              佐賀神の教会伝道師 相原幸紀美

 


 

           No.2392016年1月3日

 

   2016年が始まりました。平和な良い年になるように願い祈ります。

 

   年末の最後の礼拝のあと、O姉妹がご高齢のお父さんの病状の事を話さ

 

れました。O姉妹のお母さんは、15年前に県立の緩和ケアで洗礼を受け

 

られ「最高です」と本当に嬉しそうに話され主を信じ天国に行かれました。

 

そのご主人であるTさんは、その後脳梗塞になられ娘さんのO姉妹と住ま

 

われるようになりました。その後も入退院を繰り返されましたが、今あま

 

り良い状態でありません。O姉妹は、「父のためにお祈り下さい。父がイ

 

エスさまを信じることができるように。」と言われました。その日、牧師

 

と伝道師が病室に伺いました。ゆっくりと、神さまがお父さんをお造りに

 

なったこと、御子イエスさまが十字架にかかりすべての罪を赦して下さっ

 

たこと、死から復活された主イエスさまがいつも、どこまでも共にいて下

 

さること、先に天国に行かれた奥様のことを話しました。そして「イエス

 

さまを信じますか?」というとはっきりうなずかれました。そして「退院

 

したらご自宅で洗礼式をしましょう」とお伝えすると笑顔になられました。

 

本当に嬉しい事でした。もうお話しすることは出来ませんが、うなずき笑

 

顔をもって信仰告白をされたと信じます。本当に神さまの恵みです。

 

 しかし1月1日の朝、厳しいご容態であるとのご連絡を受け、急遽洗礼

 

式を行いました。O姉妹と二人のお孫さんとそのご主人が共におられまし

 

た。神さまの深いご計画と信じています。

 

 わたしたちの体は、弱っていきます。心は淋しくなります。自分の

 

思うようにいかなくなって長く辛い日々だったことでしょう。しかし

 

一人ではなく、今この時神さまが共にいて下さることは慰めです。

 

 「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も

 

救われます。」(使徒16:31) 

             佐賀神の教会伝道師 相原幸紀美


 

 No.2382015年12月27日

 

   今日は、2015年最後の礼拝です。この一年支えお祈り下さった皆さ

 

まに心より感謝をいたします。

 

一年早いですね。悲しいことや辛いことや嬉しいこと色々あったことで

 

しょう。しかし、主が共におられた一年です。主に感謝しつつ新しい一年

 

を迎えたいものです。

 

 幼子イエスさまを拝みに来たのは、羊飼いと博士でした。この2つのグ

 

ループは対照的です。羊飼いは、当時の社会から疎外され身分の低い人た

 

ちでした。でも天使の言葉を信じて探し当てる純粋な人々でした。イエス

 

さまに何にも献げることは出来ませんが、すぐ駆けつけました。

 

博士は、高価なプレゼントを持って来れるような地位の高い学者でした。

 

東方から来ましたから外国人です。星を見て調べてくる知的な人々です。

 

二つのグループは、対照的ですが、共にイエスさまに出会い、喜びで満た

 

されました。神さまは、それぞれに分かるように導き幼子に出会いました。

 

イエスさまは、どんな人でも招いておられます。

 

 私たちも、教会までの道のりは一人ひとり違います。案内をもらって、

 

本を読んで、友人に誘われ、放送伝道で、試練を通して・・・。色々です。

 

神さまは、あなたを招いておられるのです。何にも持たなくても良いので

 

す。神さまは、あなたを愛しておられます。

 

「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを

 

得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。」

 

                        (Ⅰヨハネ4:9)

 

2016年、どんな年になるかは誰も分かりません。ただ言えるのは、イ

 

エスさまは、あなたのことを愛して見捨てず、見放さないという事です。

 

主を信じ、共に祈り励まし合いながら歩んでいきましょう。

 

              佐賀神の教会伝道師 相原幸紀美

 


   No.2312015年11月8日

  先日は、幼稚園で芋掘り遠足に行きました。山々が紅葉し美しい秋を感じ

ることが出来感謝しました。お祈りを感謝いたします。

 第一礼拝では、先週と本日エステル記を学んでいます。旧約聖書でもあま

りなじみのない書です。それは、「神」「主」という言葉が出てこない珍しい

書です。ペルシャ帝国の王アハシュエロスが王妃を追い出し、新しい王妃の

候補を国中から集めました。その中にエステルがいました。王は大変彼女を

愛しました。彼女はユダヤ人で、両親を亡くした後、宮で働く伯父モルデカ

イに育てられました。伯父は、ユダヤ人であることを秘密にするよう言い、

彼女を見守っていました。モルデカイはユダヤ人として、神以外は礼拝しな

い姿勢を崩しません。王に気に入られたハマンは、モルデカイが自分に頭を

下げないことを不快に思い、ユダヤ人滅亡計画を企てます。王は何も知らず

ユダヤ人を殺すことを許可します。モルデカイをはじめ、ユダヤ人は深く歎

き悲しみます。モルデカイは、エステルに王にあわれみをこうように願いま

す。しかし、王妃から王に近づくことはできずに、エステルは躊躇します。

その時モルデカイは、「・・・あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、

この時のためであるかもしれない。」(4:14)とエステルに告げます。エ

ステルは、断食をして祈ってくれるように頼み「・・・たとい法令にそむい

ても私は王のところへまいります。私は、死ななければならないのでしたら、

死にます。」(16)と言い、同国民のために立ち上がります。

 あなたがいるところは、神さまが置いて下さった所です。あなたは、自分

の使命を感じたことはないかもしれませんが、神さまのご計画の中で今のあ

なたがそこにいるのです。家族のため、近所の人のため、仕事で出会う人の

ため、その町の人のために祈りましょう。神さまが置いて下さったその場所

感謝して歩みましょう。神さまのめぐみが見えてきます。

                佐賀神の教会伝道師 相原幸紀美


  No.2302015年11月1日

  11月になりました。秋の空をバルーンが飛んでいます。下ばかり見が

 ちな私たちですが、空を見上げ主をあがめたいものです。

  先週の第一礼拝では、旧約聖書のルツ記を読みました。ナオミは夫エリ

メレクとふたりの息子とイスラエルに住んでいましたが、飢饉があり、彼

らはモアブという外国に住むことになりました。二人の息子はモアブの娘

を妻にし、6人で住んでいました。しかし、ナオミの夫エリメレクと二人

の息子は亡くなりました。残されたのは年老いたナオミと二人の嫁です。

ナオミの悲しみははかり知れません。ナオミはふるさとベツレヘムに穀物

が取れるようになったと聞き、故郷に帰る決心をします。そこでモアブ人

の二人の嫁に実家に帰るように促します。再婚出来ればそれがいいという

願いです。二人の嫁は泣き、一人の嫁は、帰る事にします。しかしルツと

いう嫁は、「あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住

みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。」(ルツ1:16)

と言い、年老いた義母ナオミから離れず共にベツレヘムに行きます。ルツ

にとってイスラエルは外国で不安もありましたが、義母ナオミとその神を信

じ生活を始めます。当時ゆるされていた落ち穂を拾って生活します。それが

はからずも遠い親戚ボアズの畑です。ボアズはナオミやルツのことを聞き、

配慮し大切にします。その後ボアズとルツは結婚し、オベデが誕生します。

オベデは、ダビデの祖父、その子孫として、やがてイエスさまが生まれま

す。イエスさまはユダヤ人ですが、その系図の中にはモアブ人の血、すな

わち異邦人の血も入っています。イエスさまは世界の救い主なのです。

 ナオミとルツの人生は、悲しみの多い人生でした。しかし、神さまはそ

の涙を喜びに変えて下さいました。神さまは涙を喜びに変えることがおで

きになります。あなたの涙も神さまはご存知です。信じてみませんか?

                  佐賀神の教会伝道師 相原幸紀美  


 No.2292015年10月25日

  秋の良い日が続いています。町の街路樹も少しずつ紅葉し、秋の豊かさを

感謝します。

さてヨセフ物語も終わりです。兄たちにねたまれエジプトの商人に売られ

たヨセフですが、彼と共に主がおられ苦難の中にも忍耐と慰めが与えられま

した。ヨセフがエジプトの王パロの夢の解きあかしをして、エジプト王に次

ぐ権威者となります。30歳のヨセフです。7年間の豊作の後、ききんがエ

ジプト全土と周辺国に起こります。人々はエジプトに食料を求めて来るよう

になりました。ヨセフの父イスラエル(ヤコブ)も兄たちに命じてエジプト

のヨセフの元に食料を買いに来ます。兄たちにはヨセフとは分かりません。

自分が売ったヨセフがまさかエジプトの権威者になっているなんて夢にも思

わないからです。しかしヨセフには分かるのです。自分を売った兄たちの背

後に両親が見えてきます。ヨセフは両親が元気かと聞きます。すぐには身許

を明かさず兄たちが、変わったかを知ろうとします。色々な手段で少しずつ

兄たちを観察します。第45章には、もう自分を制することが出来ず、泣き

ながら兄たちに自分がヨセフだと告白する姿が描かれています。ヨセフは、

兄たちに自分のことで心を痛めないようにと配慮ある言葉を話し、その上で

「今、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、実に、神なのです。」

(45:8)と言います。その後ヨセフは、一族をエジプトに呼び寄せます。

父との再会を果たすのです。

苦難の中で彼の人格も育ちました。彼が権威ある立場につくための神さま

からの訓練だったのかもしれません。神さまは、私たちの人生にも計画をお

持ちで、無駄なことは一つもありません。ヨセフは兄たちに「あなたがたは、

私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいまし

た。」(50:20)と。どうぞ創世記37-50章をお読みください。

              佐賀神の教会伝道師 相原幸紀美     


   No.2272015年10月18日

   先日のコリアンカフェ、秋のコンサートに昨年も参加された方や久しぶ

りの方、韓国語教室の方がお出で下さり感謝します。スヨンロ教会のご婦

人たちは、仕事の都合を合わせ、家族の理解を受け、自分を献げて、教会

から派遣されて宣教のためにお出で下さいました。感謝します。

 ヨセフ物語は、わたしたちを励まします。ヨセフは兄弟によってエジプ

トの商人に売られます。愛する両親から引き離され、言葉も文化も違う所

に置かれます。たった一人と感じます。しかしひとりではないのです。

「主がヨセフとともにおられたので、彼は幸運な人となり、そのエジプト

人の主人の家にいた。」(創世記39:2)主、神さまがヨセフと共におら

れたと聖書はいいます。何度も記しています。しかしその主人の妻にはめ

られ獄中に入れられます。「しかし、主はヨセフとともにおられ、彼に恵み

を施し、監獄の長の心にかなうようにされた。」(39:21)獄中でも神

さまは共におられたのです。その中で夢を説き明かします。ヨセフは解き

明かすのは自分ではなく神さまですとはっきり言います。夢の通りになっ

たら思い出してくださいと言いますが、ヨセフは忘れられてしまいます。

2年も。

上手くいきそうで行かないそんなことないですか?お祈りをしてもなか

  なかかなえられず苦しむことがあります。しかし神さまは、あなたを見捨

てたり見放したりされたわけではないのです。ですからわたしと共に神さ

まがおられることを信じて置かれたところで真実に誠実に歩むことが大切

です。あなたに与えられた仕事、主婦としての勤め、子育て、介護そのあ

なたとともにおられる神さまは、時が来たときに不思議な恵みを下さいま

す。信じてこの週も歩みましょう。

              佐賀神の教会伝道師 相原幸紀美



 No.2262015年10月11日

   幼稚園の運動会のためにお祈りいただきありがとうございました。大き

な怪我もなく楽しい運動会を行う事が出来感謝しています。明日は、コン

サートです。6時からです。また3時ぐらいからコリアンカフェを開きま

す。ゆっくりと交わりの時としたいと思います。ぜひお越しください。

 先週の第一礼拝からヨセフ物語が始まりました。創世記37章からヨセ

フの人生は、書かれています。ヨセフの父は、イスラエル(ヤコブから改

)、彼には11人子どもがいました。ヨセフは10番目の子どもですが、

一番愛された子どもです。特別な服を作ってもらいヨセフ自身も喜んでい

たようです。ヨセフは、兄たちからねたまれているのに、夢の話をします。

「麦の夢」(37:7-8)と「天体の夢」(37:9-11)です。ます

ます兄たちのねたみは強くなります。兄たちは羊飼いでした。父はヨセフ

に兄たちの様子を見に行くように命じます。兄たちは、遠くにいるヨセフ

を見つけ殺そうと企てます。年長のルベンは、密かに助けようと思い、殺

すことには反対します。結局は、ルベンがいないときにエジプトに向かう

商人にヨセフを銀20枚で売ったのです。兄たちは、ヨセフは雄やぎにや

られたと父に報告するのです。父の悲しみは、深いのです。ヨセフの人生

は、どうなることでしょう。

 ヨセフの人生は、波瀾万丈です。兄弟にねたまれ、おとしめられ、愛す

る両親から引き離される。なんという青年期でしょう。ヨセフは、泣き苦

しんだかもしれません。神さまに捨てられたのかと思ったのかもしれませ

ん。そんな彼の思いを越えて、実は深い神さまのご計画があったのです。

あなたの人生にも神さまのご計画があるのです。

イエスは答えて言われた。「わたしがしていることは、今はあなたには

からないが、あとでわかるようになります。」(ヨハネ13:7)

                 佐賀神の教会伝道師 相原 幸紀美



No.2252015年10月4日

   「彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、

    悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや

    過ぎ去ったからである。」(黙示録21:4)

    10月1日に古賀紀美子姉は、静かに眠るように息を引き取られ、

   天に召されました。病気が分かって約1ヶ月、見る見るうちに衰弱さ

   れました。1ヶ月前は自転車でお買い物もされていましたから驚きで

す。77年の人生でした。昭和44年に洗礼を受けられ、信仰の生活

を始められました。忠実に礼拝を守り、聖書に親しむことを喜びとさ

れました。私たちの教会には、2年ほど前にお出でになり「お役に立

つよりご迷惑をおかけする方が多いですが良いですか?」と言われ、

牧師が「私はそのためにいますから。」と答え、転会され教会の家族と

なられました。

ご病気になられてからは、告別式の話をされました。お花や写真、聖

書の箇所、讃美歌等を選ばれ、告別式では「沢山のご迷惑をおかけしまし

た。お許しください。また沢山のお祈りとご親切にありがとう。」

と伝えてくださいと言われました。亡くなられる数日も「主とともに」

と何度も言われ主の手にすがられ、天国への階段を登っているようでし

た。長年疎遠であったご兄弟に見送られ、讃美歌と聖書のみ言葉にすが

りながら静かに天に召されました。

 古賀紀美子姉のご苦労の多い77年、一人で淋しい時もあったでしょ

う。辛いことも悔やむことも、悲しいことも痛みもおありだったでしょ

う。しかし今は主のそばで、すべてから解放され、再臨の日まで眠って

おられます。いつか主の前で再会できるのを楽しみにしています。ご遺

族の皆様、親しくされていた方々に天父のお慰めをお祈りいたします。

                 佐賀神の教会伝道師 相原 幸紀美



      No.2242015年9月27日

   皆さまにお祈りいただいています古賀紀美子姉妹ですが、今緩和ケアに

主と共におられます。讃美歌を一日中聞きながら安らかに過ごされていま

す。皆さまの祈りに支えられ感謝しておられます。続けてお祈り下さい。

 マタイ25:1-13を読んで下さい。そこに10人の娘たち(花嫁の

)の事が書いてあります。花婿が迎えに来て結婚式が始まります。娘たち

は、花婿が迎えに来るのを今か今かと待っています。携帯があれば良いで

すがない時代、遅れても連絡できず、嫁たちは、うたた寝をしたというの

です。いざ来た時に5人はすぐに迎え出ますが、あとの5人が余分に油が

なく手惑います。油を余分に持っている5人に分けてもらおうとしますが、

出来ず買いに行く間に花婿が行ってしまい、追いかけますが戸は閉じられ

たという話です。

 この話の花婿はイエスさま、娘たちは私たちです。イエスさまは、十字

架で死に復活され地上で人々にご自分を現せなさいましたが、その後昇天

されました。今は天で私たちのために祈ってくださっています。そのイエ

スさまは、再び来ると言われました。再臨といいます。しかしその時がい

つかは分からないのです。今日か明日か、20年後か・・・しかしイエス

さまは必ずこの地上に私たちを迎えるために来られます。その時のために

眠らないで目を覚ましてイエスさまに会う備えをしましょう。もちろん再

臨だけではなく、誰でも訪れる死を迎える備えが必要です。愛の神さまは、

待っておられます。

「主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅ら

せておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深く

あられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い

改めに進むことを望んでおられるのです。」(Ⅱペテロ3:9)

                 佐賀神の教会伝道師 相原 幸紀美



 No.2232015年9月20日

   とんぼが飛び、少しずつ穂が育ち、秋の風を感じます。神さまの

  恵みとあわれみが豊にありますように心からお祈りいたします。

   来週からNHK朝の連続テレビ小説「あさが来た」が始まります。

モデルは広岡浅子さんです。幕末から大正の時代という女性が表舞

台に出ることがまれだった時代を生きた女性です。幼いとき、裕福

な家庭に生まれたのですが、お嬢様ではなくおてんばに過ごします。

読書に興味を持ちますが女性に学問は必要なしと言われ、納得がい

かないものの読書を禁じられます。成長し、大阪の豪商に嫁ぎます。

自由が与えられ勉強することが許され、算術などを勉強し、夫の代

わりに商売の前線にたちます。その後炭坑事業にも進出しました。

非常な困難があり、自分の人生を「九転び十起き」と表したようです。

女子教育にも力を入れ、現日本女子大学の設立にも協力をします。し

かし六十歳の時に大病をし、内外の仕事を整理します。手術後目覚め

たとき自分のいのちは天が何かせよといって貸したものではないかと

考えます。その後一人の牧師と出会い、信仰の道を求めます。救世軍

の山室軍平からも導きを受けました。軽井沢で祈ったとき、自分の高

慢さを示されて悔い改めの祈りをし、救われました。

その後は、福音を伝える者となるのです。不屈の精神も見習いたい

ですが、自分の力で生きてきたと思っていたが実は生かされていたと

知ってすべてに感謝する彼女の生き様が素晴らしいのです。何度転ん

でも起きた最後は、神さまのみ手によって起こされたということでし

ょう。神さまはあなたの手も握っておられ、励まし起こして下さるお

方です。

                 佐賀神の教会伝道師 相原 幸紀美



  No.2222015年9月13日

  先週関東・東北地方では、大変な水害がでました。川が決壊し家が流され

救助を待つ人の姿が映像として映し出されました。想像を超えた雨に、皆驚

きと悲しみでいっぱいです。一日も早い復興をお祈りしましょう。

先週の第1礼拝は、マタイ20章1-16節のぶどう園の主人の話でした。

ぶどうの収穫の時期となり主人は、人を雇いに出かけます。朝6時ぐらいで

しょうか、1デナリの約束でした。ぶどうは実り、早く収穫しないとダメに

なってしまいます。主人は9時にまた人を雇いにいきます。でも間に合わず

12時、3 時にも出かけていき雇うのです。夕方5時にいくと一日雇われ

ずにいる人々がいます。なぜ一日中ここにいるかと訪ねると誰も「雇ってく

れないからです」()聞いた主人は、あなたがたもぶどう園に行くように命

じます。それからほどなく賃金を払う時になりました。最後に来た人から払

うのです。みんな平等に1デナリです。すると朝早くから働いていた人が最

後の1時間しか働いていない人と同じ賃金とはおかしいと文句を言うのです。

このたとえを読んでどう思いますか?私は、最後の人に1デナリあげたの

は優しいいい主人だと思います。しかし朝早くから暑い中がんばって働いた

人が文句をいうのもわかります。どうでしょうか。ぶどう園の主人は、神さ

まなのです。神さまは、すべての人を愛して下さり、信じる者を救ってくだ

さいます。能力や努力に応じる救いではないのです。朝早く雇われた人は、

この主人のそばで働ける喜びを忘れてしまったのです。遅く来た人は、もう

あきらめていたのに雇ってもらえた喜びを感じたことでしょう。神さまは、

何も出来なくても愛して救って下さいます。先に信じた私たちは、この気前

の良い主人のそばにいる感謝を忘れてはいけません。

主は遠くから、私に現われた。「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。

それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。」(エレミヤ31:3)   


No.2212015年9月6日

   園庭にたくさんのとんぼが飛んでいました。秋を感じます。暑い夏が

  過ぎ秋を迎えます。感謝な事です。しかし、色々な課題を抱えておられ

る方々、人知れず苦しみ祈っておられる方々を覚えます。主は、あなた

のことを心配しておられます。一人ではない!なんと恵みなのでしょう。

 「ゆるす」ということは、簡単ではありません。日本には「仏の顔も

3度まで」という言葉がありますが、イスラエルでもゆるしは3回まで

であったようです。ある時、弟子のペテロがイエスさまに「何回まで人

をゆるすべきでしょうか?7回までですか?」と聞きます。3回を越え

ているので褒められるかと思いきや、7回を70倍するまでと言われま

す。これは490回という意味ではなく、無限にということです。

 そこでイエスさまは、一つのたとえを語られます。王が借金の清算を

し、1万タラント(6千億円)借金のあるしもべに返済を求めた。生涯返

せるような額ではないのですが、ひれ伏して猶予を懇願する彼を全額免

除してやったのです。そのしもべが喜んで出て行く途中に、百万円貸し

ていた人に会い返済を求めたというのです。同じようにひれ伏して猶予

を求めたのですが、彼はゆるさず牢に入れたというのです。それを聞い

た王は、しもべを呼び獄吏に引き渡したというのです。自分はゆるされ

たのに、他者をゆるさなかったという話です。

 私たちは、ゆるすことが難しいですが、他方ではゆるされて生きてい

る存在です。知らないところで人を傷つけているのに、自分で気づかな

いでいるだけかもしれません。イエスさまは、そんな私たちのために十

字架で死んで下さりよみがえられたのです。あなたもわたしもゆるされ

たお互いなのです。ですから、ゆるせない自分を認めながら、祈ってゆ

るして愛していける人になりたいのです。

              佐賀神の教会伝道師 相原幸紀美



No.2202015年8月30日

   夏休みもあと一日、幼稚園にも元気な園児たちの声が帰ってきます。沢

山の夏の思い出を話してくれることでしょう。非常に大きな台風が過ぎ、

このところ、朝夕は涼しくなり本当に感謝です。

 先週の第一礼拝では、おろかな金持ち(ルカ12:13-21)を学び

ました。群衆の一人がイエスさまに遺産相続を円滑に出来るようにして下

さいと相談に来たのです。兄とのことでもめていたのでしょう。イエスさ

まは、たとえをもって答えられます。ある金持ちの畑が豊作で、入れてお

く所がないと思い、倉を大きくしようとするというのです。その金持ちは、

「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心

して、食べて、飲んで、楽しめ。」と言うのです。しかし、いのちは神さ

まのもの。いのちが取り上げられたら、その用意した物は誰の物になるの

か、と言われたのです。イエスさまは、蓄えることを否定したのではあり

ません。与えられている物は神からの恵みであり、主が祝福してくださる

ことを感謝し、その恵みと祝福を人と分かち合う者となるように願ってお

られるのです。

 貪欲は、人をおろかにします。無くなることを恐れ不安にします。満足

できず、我慢できなくなります。神さまは次のような約束を与えて下さっ

ています。「金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので

満足しなさい。主ご自身がこういわれます。『わたしは決してあなたを離れ

ず、また、あなたを捨てない。』」(ヘブル13:5)

神さまは、あなたや私たちの必要を知っておられます。与えられているも

のを感謝し知恵をいただいて歩みましょう。十字架で死んで復活されたイ

エスさまはあなたを愛しておられるのですから。

              佐賀神の教会伝道師 相原幸紀美



No.219 2015年8月23日

   朝、夜ほんの少し涼しくなってきた気がします。朝ツクツクボウシが

  鳴くのを聴いて夏も終わりだなと感じました。

   ルカ10章25節からを先週学びました。一人の律法の専門家が、イ

エスさまをためそうと「何をしたら永遠のいのちを自分のものとして受

けることができるでしょうか。」と質問しました。イエスさまは、律法に

なんとあるか?と返します。律法の専門家は、神と人を愛することだと

知っており、「では、私の隣人とは、だれのことですか。」と質問します。

そこで『よきサマリヤ人』のたとえをイエスさまは話されます。

 ある人が強盗にあって瀕死の状態にあったのです。そこに初めに通った

のは、祭司でした。同じユダヤ人であり神に仕える人。きっと助けてくれ

ると思いきや道の反対を通っていってしまうのです。次はレビ人。この人

も神に仕える人々から尊敬されていた同じユダヤ人ですが、やはり道の反

対を通過します。そこに日頃仲の悪いサマリヤ人が通ったというのです。

民族同士の不仲に関係なく、「見てかわいそうに思い、近寄って傷にオリ

ーブ油とぶどう酒を注いで、ほうたいをし、自分の家畜に乗せて宿屋に連

れて行き、介抱してやった。」(33,34)自己犠牲を惜しまず、助ける

姿を話し、「誰が隣人になったか?」とイエスさまは問い、あなたも同じ

ようにしなさいと話しました。隣人とは誰かという問いに、助けを必要と

し、愛を必要とする人があなたの隣にいるその人だと言われました。

 私たちは、色々な理由をつけて限定した人を愛することをしています。

でもイエスさまは、傷つき苦しんでいる私たちに、反対側を通らないで目

を留め、かわいそうに思い、十字架の痛み、いのちの犠牲を払って下さい

ました。私たちは、この愛を知っています。この愛に答えて、隣人を愛し

て歩みたいのです。    佐賀神の教会伝道師 相原幸紀美



No.218 2015年8月16日

   13日14日と嬉野キリスト教会へ中高生のお泊まり会へ行って来ま

した。二つの教会合わせて10人にスタッフ5人でしたが、仲良くなり、

それぞれに色々学ぶ事が出来ました。クリスチャンは、日本では、1%

以下です。ましてこの佐賀は、もっと少ないことでしょう。中高生は、

各学校においてクリスチャンは一人ぐらいです。しかしこのように集ま

るとき話すとき、みんな置かれたところで祈りながらいるんだと励まさ

れます。悩み葛藤の多い世代だからこそ信仰を持つことの素晴らしさを

感じて欲しいのです。先週お出で下さった井上先生の説教にもありまし

たが、次世代を育てて、行くことの大切さと責任を感じます。

 双子の兄弟エサウとヤコブは、争いの後離れ離れで20年過ごしまし

た。ヤコブにとって20年ぶりの帰郷は、嬉しいよりも不安でした。20

年前の事とはいえ、兄のエサウの恨みや怒りは収まったか不安です。ヤコ

ブは、沢山の土産を携えエサウの機嫌を取ろうと準備します。しかし不安

はぬぐえず神さまとの格闘、祝福を受けなければ進めない自分を知ったの

です。神さまから祝福を頂き、安心してエサウと会いました。

「エサウは彼を迎えに走ってきて、彼をいだき、首に抱きついて口づけし、

ふたりは泣いた。」(創世記33:4)

20年ぶりの再会は、涙の再会です。エサウもヤコブを赦し、受け入れ

ることとなりました。もう恨み辛みはなくなったのです。ふたりとも20

年間に色々な試練に会い成長をしていったのです。

 不安や心配は、自然とわき起こります。聖書の言葉とお祈りをすること

によって神さまにゆだねるようになっていきます。過去の許し難いこと

心の傷をぜひ神さまに話してみませんか?

       佐賀神の教会伝道師   相原幸紀美



   No.217 2015年8月9日

   なかなか雨も降らず大変暑い毎日です。主が心身共にお守り下さるよう

にお祈りいたします。

   さて本日の礼拝は、井上真樹先生、輝子先生においで頂きました。今は、

  大分の佐伯市にあります、佐伯福音キリスト教会の協力牧師をしておられ

ます。以前は中国で宣教をなさっておられました。そのレポートもお聴き

できることを楽しみにしています。

 先週の第1礼拝はヤコブが、兄をだました事によって住み慣れた家を出、

伯父ラバンの所に行く途中での出来事でした。住み慣れた地を離れ、両親

から離れて会ったこともない地に行く恐れと不安、過去の自分の犯した罪

の後悔が、ヤコブの心を支配していました。石を枕に横たわったとき彼は

夢を見ます。一つの梯子が地に向けて立てられ、天の使いが上り下りして

いるのです。その時ヤコブは、主の御声を聴きます。

「わたしは、あなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。わたし

はあなたが横たわっているこの地を、あなたとあなたの子孫とに与える。・

・・わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを

捨てない。」(創世記28:13-15)眠りから覚めたヤコブは、「まこと

に主がこの所におられるのに、私はそれを知らなかった。」(16)と告白

します。ベテルの地での出来事です。

 ヤコブは、孤独と寂しさ、罪の中で神さまと出会ったのです。私の神さ

まとなったのです。信仰のスタートです。わたしは、小学生の時幼いなが

ら神さまと出会い感謝しています。長男もこの経験をして欲しいと祈って

います。多くの方が「主がこの所におられる」経験をしていただきたいの

です。あなたのために祈っておられる方がいます。

               佐賀神の教会伝道師 相原幸紀美



No.216 2015年8月2日

   朝から暑く、夜も寝苦しい毎日ですね。しかし、そんな暑いとき少しの

  風に嬉しさを感じます。上手に暑さ対策をしていきたいものです。

   第1礼拝の先週の話は、エサウとヤコブの双子の兄弟です。この双子の

  父はイサク、母はリベカです。この夫婦は20年間子どもが与えられず、

  祈りの課題でした。与えられたかと思えば、双子です。兄エサウは野性的

で、体は毛深く、父親に愛されました。弟ヤコブは、穏やかですべすべの

肌、母に愛されたようです。兄は当時のイスラエルでは、長子の権利とい

う大きな祝福を約束されていました。いくら双子でも兄は兄です。しかた

がありません。しかし、兄はその長子の権利を、自分の空腹を満たす食料

と交換してしまいます。その権利の重さを実感していませんでした。そん

な中、父イサクは年を取りいよいよ祝福の祈りをすることとなりました。

父は、エサウに、獲物を捕って料理して持ってきた後に祝福をしようと言

います。それを聞いていたリベカは、弟ヤコブをすり替え長子の権利を頂

くように、祝福の祈りをしてもらうように企てます。父イサクは、策略に

引っかかり弟ヤコブに祝福の祈りをしてしまいます。兄は弟を憎むように

なり、家族はばらばらになります。父も母もエサウもヤコブもこのことで

悲しみを負います。罪は人々を悲しませます。

 罪の結果苦しみ、家族がばらばらになるわけですが、主なる神は、双子

が生まれたときに「兄が弟に仕える。」(25:23)と仰せられています。