コラム  (週報ー風ーより)


 

     本日は、召天者記念礼拝です。私たちの教会の家族が先に

     天に帰ったことを覚え、私たちも再会を信じ信仰を確認する

     ときです。先に召された方の中には、何年も何十年も礼拝を

     共にした方もおられますし、礼拝は共にできなかったのです

     が教会の祈りに支えられ天国を信じ平安をもって歩まれた方

     もおられます。年齢も職業も教会とイエスさまとの出会いも

     様々です。共通することは、イエスさまの十字架の血によっ

     て自分の罪が赦され、3日目によみがえられたイエスさまを

     信じ、死の恐怖から解放されたということです。そして教会

     の家族と共に祈り合い、励まし合い、支え合ってきました。

     天で再会するその日まで私たちは、互いに励まし、地上の歩

みを主と神の家族と共に歩んでいきましょう。

 

      今日は、洗礼式もあります。姉妹がイエスさまを信じ、

     洗礼をお受けになります。これは教会にとって大変嬉しい事

     です。天では神の御使いに大きな喜びがあります。これから

が新しいスタート、第二の人生です。おめでとうございます。

 

      人生は色々あります。先に召された方々も、病気になられ

     長い闘病生活を送られました。また孤独の中を祈りによって

     耐えていかれました。自分の信仰に落ち込むこともあったで

     しょう。しかし、主イエスさまを信じた者を主はどんな中で

     も赦し、守り、慰め、解決の道を開いてくださいます。

     姉妹を主が祝福してくださいます!またそのご家族も主は祝

     福してくださいます。主は見放さず、見捨てないお方です。

     一緒に御国目指して歩んでまいりましょう。神さまに感謝し

ます!!

 

      あるクリスチャンの方から祈りの要請です。国境なき医師

     団の一員の麻衣子さんのために祈って下さい(TVにも出演)

     「しばらくガザを出られそうにないけれどここで頑張ります。

     難民で溢れ、水もトイレも寝る場所もありません。私たちは

     外で寝泊まりしています。・・・トイレも千人に一つ、シャ

     ワーも浴びることができず、衛生状況は最悪です。毛布も取

     り合いとりあいです。・・・私たちも着の身着のままで出て

     きたので医療行為もできていません。そんな状況で、空爆は

     止まらず本当に大変なことになっています。」イスラエルと

     パレスチナ、ウクライナとロシア、世界の戦争が終わりよう

に、現地の方々特に弱い人たちを覚えて祈りましょう。

              2023年10月29日週報より

 


 

      運動会が無事終わりました。子どもたちは、保護者の方を前に

     頑張っていました。特にリレーでは、小さい組は楽しそうに、に

     こにこしながら走っていましたが、年中、年長になると、負けた

     くないという強い思いで懸命に走る姿が見られました。子どもた

ちの成長する姿に感動を覚えます。お祈りと応援を感謝します。

 

      今週はどんぐり村に芋ほり遠足に出かけます。天候と安全のため

      にお祈りください。幼稚園の来年度の園児募集のためにもお祈り

ください。

 

 

 

      「モーセが手を高く上げているときは、イスラエルが優勢にな

     り、手を下ろすとアマレクが優勢になった。モーセの手が重くな

     ると、彼らは石を取り、それをモーセの足もとに置いた。モーセ

     はその上に腰掛け、アロンとフルは、一人はこちらから、一人は

     あちらから、モーセの手を支えた。それで彼の両手は日が沈むま

で、しっかり上げられていた。」(出エジプト17:11~12)

 

      エジプトから脱出したイスラエルの民は、旅を続けました。前

     は海、後方からはエジプトの戦車等が追いかけてきました。人々

     は恐れましたがが、神さまは不思議な力で海に道を開き、イスラ

     エルの人々を守られました。これはイスラエル民族にとっては、

     忘れることができない神のみわざとなりました。さらに旅を続け

     ていくと、アマレク人がイスラエルに戦いを挑んできました。上

     記のみことばはその時のことです。モーセが祈りの手を上げてい

     る時はイスラエルが優勢になり、モーセが疲れて手を下げるとア

     マレクが優勢になったのです。それを見たモーセの兄のアロンが

     石を持ってきてモーセが疲れないように、また手が下がらないよ

うに手を支えたのです。そうやって戦いに勝利しました。

 

      私はここを読んで教えられました。私が疲れている時にも誰か

     が私のために祈って支えてくれている。だから私は、疲れても倒

     れないのだなと思ったのです。モーセにアロンやフルがいたよう

     に、私にも教会の皆さんの祈りがあるのだと思ったのです。もち

     ろん皆さんにもそうです。私たちには弱さがあります。時には祈

     れなくなったり、疲れたり、信じる事よりも問題が見え不安にな

     る時があります。しかし覚えて下さい。あなたの手を支えていて

     下さる方がおられます。あなたを忘れることなく、いつも祈って

     くださる教会の家族、そして、いつもとりなしていて下さるイエ

     スさまがおられます。


 

 「主よ、ご覧ください。

あなたが愛しておられる者が病気です。」(ヨハネ113

 

   

 

      神さまが愛してくださっている者も病気になります。しかし

     周りの者は、この御言葉をもって祈ることができるのです。金

     城信一郎先生の癒し、暁子先生と沖縄ゴスペルファミリーチャ

     ーチのためにいつもお祈りいただき、感謝します。現状がどん

     な厳しくても、神さまを見上げ讃美され、癒しを信じておられ

ます。私たちも続けてお祈りしましょう。主は良いお方です。

 

 

 

      また先週、後藤孝子先生の腰痛のためにも心合わせてお祈り

     しました。その後腰の骨が2本折れていることがわかりました。

     痛いはずです。立つことはもちろん体位を変えることもできず

     におられ、後藤先生も不自由なお体です。ご家族も仕事がある

 ので、困りました。そこでお祈りし救急搬送することになり、

 病院に搬送入院できました。後藤先生は、しばらくショート

     ステイをしていただくことになりました。短時間でスム

ーズに進むことができて感謝でした。

 

      実は私の母は、体調を崩し病院に入院しています。

     明日にはロザリオの園に戻れるようです。私は小学校3年の時

     に教会に行きましたが、そのナザレン西教会の当時の牧師が後

     藤先生でした。中学3年生で洗礼を受けて引っ越しするまで、

     信仰を育てていただきました。そのころ後藤先生ご夫妻には7

     ~8名のお子さんがおられました(全員で12人出産されます)

     若い人が多い教会で、先生たちご家族の生活は本当に大変だっ

     たと思います。母は時々頂き物を持って行っていました。母は

     いつも「今は大変でも子どもが大きくなったら助かるだろう」

     と父と話していました。それから私は、東京の神学校、神奈川

     の厚木、佐賀での歩みをし、連絡は途絶えました。後藤先生た

     ちも名古屋、大阪、佐賀の鳥栖、島根、徳島など伝道者として

     歩まれました。引退されまさか佐賀とは!!驚きました。今回

     まして母と同じ病院でお会いするとは!二人とも涙の再会でし

     た。3人でお祈りしました。孝子先生の癒しと後藤先生の療養

のためにも続けてお祈りください。

 

     病気は罰ではありません。辛いですが、主はすべてをご存知

です。祈り支え合う教会でありたいです。

 


 

      毎日暑い日が続いています。皆さまが守られるようにお祈りし

ています。

 

       幼い時に覚えた御言葉の一つにこんな言葉があります。

       「苦しみにあったことは 私にとって幸せでした。

        それにより 私はあなたのおきてを学びました。」

                  (詩篇11971)

 

      苦しみにあいたいと思う人はありません。避けたいと思います。

     苦しみにあうことが幸いとは絶対に思えません。私はこの御言葉

を幼い日に覚えながらそう思っていました。

 

 

 

      人生を歩み続けながら苦しみとまではいかなくても、身近な人

     の死を通して哀しみの中に神さまの恵みを知り、人からは味わえ

     ない御言葉の温かさを感じました。天国が漠然とあるのでなく、

     確実に再会できる場所と信じられるようになり、死は悲しく辛い

ことだけれど絶望ではないと学びました。

 

      祈っても祈ってもかなえられず、道が開かれないことが長い時

     間ありました。しかし突然道が開かれ、すべて神の導きとしか言

     えないことがありました。その時に「神のなさることは、すべて

     時にかなって美しい。」ということを思い出し、神さまに感謝し

     ました。その長い祈りの中で、自分の心が人を愛せない、むしろ

     いなくなってほしいと思うほど罪深い者であるということを知り

     ました。そしてイエスさまの十字架の前に赦されている者である

がゆえに、赦し愛していけるように祈りました。

 

      原因がわからず体の痛みを感じたとき、ひたすら祈りながら十

     字架の痛みを思いました。原因が分かり治療し癒されたとき、生

きているのでなく生かされているということを学びました。

 

 

 

      苦しみは、私たちを神へと向かわせます。しかし、忘れてはい

     けません。御言葉に「あなたがたが経験した試練はみな、人の知

     らないものではありません。神は真実な方です。あなたがたを耐

     えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えら

     れるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。」

      (Ⅰコリント10:13)とあります。神は、耐えられる試練、苦

     しみだけを与えられます。また脱出の道もあります。神さまを仰

     いで今週も歩みましょう。置かれた所で、神さまのおきてを学ぶ

ことができますように。お互いのためにお祈りしましょう。

            2023年7月の週報より

 


      聖書を読み祈る時間を朝持っています。聖書を何章も読む必

     要はありません。少しずつコツコツと読み続けてください。短

い箇所を読むことで見えてくる言葉、神さまの配慮を感じます。

 

      最近は、ヨセフ物語を読んでいます。創世記37章からです。

     小説を読んでいるみたいです。ヨセフはヤコブの子どもです。

     11男です。父ヨセフから溺愛される反面、兄たちからはねた

まれます。その結果エジプトに売られることになります。

 

      これだけでも色々学ぶことができます。ヨセフは、17歳で

     す。言葉もわからない国エジプトへ売られ、愛する父とも離れ、

     彼は悲しみと苦しみの中に落とされます。「どうしてこんなこと

     に・・・」と彼は自問自答していたことでしょう。その彼は、エ

     ジプトの王の侍従長の家で仕えることになります。その主人の

信頼を受けていきます。その背後に主がおられるのです。

 

     「主がヨセフとともにおられたので、彼は成功する者となり、

そのエジプト人の主人の家に住んだ。」(創世記39:2)

 

     彼は、置かれたところで誠実に働きました。これからどうなる

     かわからない中でも彼は、任された仕事に誠実に取り組みまし

     た。ひとつひとつに神さまの訓練がありました。私たちはこの

     ヨセフがやがてエジプトの大臣になること、自分を売った兄た

     ちを赦し、養うことを知っています。しかしこの若いヨセフに

     は、分からないことでした。将来はわからなくても誠実に仕え

る姿があるのです。

 

      私たちには将来はわかりません。過去と今はわかりますが、

将来はわからないのです。しかしこのような言葉があります。

 

     「わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っ

     ている。――主のことば――それはわざわいではなく平安を与

     える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのもの

    だ。」(エレミヤ29:11)ひととき、わざわいと思えること

     があっても神さまの私たちへの計画は、平安を与え、将来と希

     望を与えるためのものであることを忘れてはいけません。十字

     架で血を流すほどあなたを愛されているお方は、今も生きてお

     られます。信じて置かれたところで誠実に歩みましょう。祈り

     をもって、私にできる愛のわざをいたしましょう。

     今週も主を仰いでまいりましょう。


 

       麦秋を迎えています。収穫の様子を見ると、いつもイエス

      さまも農夫たちの姿をご覧になっていたであろうと思います。

      私たちの日常の歩みすべてを知って、愛のまなざしを持って

      いてくださる主に感謝します。暑かったり、肌寒かったりし

      ています。皆さまの心と体が祝福されますようにお祈りいた

します。

 

 

 

       先日幼稚園で仕事をしていたら子どもたちが、「雨だよ!」

      「雨が降ってるよ~」と嬉しそうにみんなに知らせていまし

      た。私は、雨でそんなに喜んでいることを、すごいなと思い

      ました。私は雨は、洗濯は乾かないし、送迎は手間取るし・

      ・・あまり嬉しくないんです。でも子どもたちは「長靴がは

ける」「傘が使える」「お花がよろこぶ」などと言うのです。

 

       私たちたちは、自分中心です。そして感謝を忘れます。ま

      ず文句(文句まで言わなくても・・・)、文句や愚痴は自然と

      湧き出ます。人間の罪深さですね。感謝をするように練習が

日々必要です。小さなことに感謝できる人になりたいのです。

 

       また子どもたちは、幼稚園にお迎えに来られたお母さんを

       見ると、とっても嬉しそうです!たまには遊びを中断されて

      「早かった」と文句を言いますが、でも「お母さん!」って

      走っていく姿にはいつも感動します。私のお母さん!ぼくの

      お母さん!何でも知って守ってくれている大好きなお母さん

      です。もちろんお母さんも事情があって、「早く帰るよ」なん

      て素っ気なく言うこともあります(私もそうでした)。でも、

      みんなお母さんが大好きです。時にはお母さんに注意されて、

      泣いて怒ったりします。もちろんお母さんは、子どもに正し

く育ってほしいと願っているのです。

 

       神さまはお母さん以上のお方です。私たちが「神さま!」

      って祈るのなら聞いてくださるお方です。もちろんすぐに答

      えが与えられないことや、私たちが願うのと違う方法で答え

      られることもあったりします。しかし神さまは、私たちを決

      して見放さない見捨てないお方なんです。辛いことや嫌なこ

      とがあってもそれも神さまはご存知です。その中で私たちが

      神さまの恵みを知っていくことができます。神さまの子ども

として神ささまに信頼して歩んでいきましょう。

                 (2023年5月週報より)

 


 

       私は聖書を黙示録まで読み終わり、また創世記から読み始め 

      ています。聖書は、不思議です。何度読んでも新しい御言葉に

出会います。アブラハムの人生を聖書から学んでいます。

 

       アブラハムは、以前はアブラムと言われました。彼は神さま

      から「わたしの示す地にいきなさい」(創世記12:1)と言

      われ神さまの導きに従い旅を始めます。75歳です。神さまは

      その時その時に応じて声を掛け、彼を導いていかれます。特に

アブラムを祝福しあなたを大いなる国民にすると言われました。

 

       しかしアブラムには子どもは与えられずにいます。神さまの言

      葉を信じつつも、自分の力、知恵に頼って失敗しそのことで悩

      み苦しむ姿を聖書は赤裸々に描いています。しかし神さまは、

      約束を粛々と進められます。その中でアブラムの名をアブラハ

      ムに、妻サライの名をサラに変えて、導かれます。アブラハム

      からすると子どもが与えられるという約束は、待っても待って

も与えられないのです。しかし聖書にはこのようにあります。

 

      「主は約束したとおりに、サラを顧みられた。主は告げたとお

りに、サラのために行われた。(創世記21:1)

 

       約束したとおり、告げたとおりに行われたのです。アブラハム

      は100歳にして子どもが与えられたのです。神さまのわざで

      す。アブラハムは、約束を信じられないで女奴隷に子を産ませ

ます。でも神さまの約束は、変わらずに行われました。

 

       私たちは、神さまを信じて歩み始めましたが、いつしかずれ

      てしまうこともあります。しかし神さまの約束は変わらない、

      神さまの愛は変わらないのです。十字架にかかり死なれたお方

は、今もよみがえり天で祈りあなたを私を愛しておられます。

 

       私は時々今まで歩んだ道を祈りの中で振り返ります。辛く涙な

      がらに祈ったことや、何気なく祈ったことなど振り返ると神さ

      まの愛のみ手があったと感謝します。アブラハムもきっとその

      時わからなくても、後から恵みを感じたことを思ったと思いま

      す。神さまがあなたの人生を最後まで導いてくださいます。祈

りながら歩んでまいりましょう。

 


 

       桜が咲きました。菜の花やチューリップなど春の花が一斉に

      咲きました。なんだかワクワクしますね。ひとつひとつの花を

      見ると色も形も違います。神さまって素晴らしい芸術家だと感

      動しますね。小さな花も大きな花も私たちを慰め励ましてくれ

      ています。

 

 

 

       4月9日のイースターを前に、イエスさまの歩みを考えてい

      ます。神さまであるイエスさまがこの世界に来られた。それも

      赤ちゃんの姿になって母マリヤにお世話される立場になられた。

      誕生は馬小屋です。大歓迎されるでもなく、わずかな人々に祝

      われただけです。その後命を狙われ、エジプトで両親と共に文

      化も言葉も違う世界で過ごされたのです。その後ナザレという

      場所に住まれますが、父ヨセフは亡くなったようで、後大工と

      して労働の苦しみ、生活の大変さを身をもって感じられます。

       公生涯と言われる神の国の宣教を始められる時に、罪人が悔

      い改めるために受ける洗礼を、罪なきイエスさまが受けられま

      す。祈りを聞いてくださる方が、祈らなければならない生活を

されます。一番苦しい時にそばにいてほしい弟子に裏切られ、

      孤独で十字架の痛みを耐えて死に、陰府(よみ)にまでくだって

      くださった。これらの苦しみ痛みを身をもって体験されたお方

が私たちの救い主、イエスさまです。

 

      「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではあ

     りません。罪は犯しませんでしたが、すべての点において、私

たちと同じように試みにあわれたのです。(へブル4:15)

 

       私の苦しみは、誰にも分らない!と言うことがあります。人に

      言えない闇を私たちは持っています。しかしイエスさまだけは、

      あなたの闇、痛み、苦しみを知ってくださるお方です。そのお

方は死んで終わりでなく、よみがえられ今も生きておられます。

 

       「ですから私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただい

       て、折にかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近

づこうではありませんか。」(へブル4:16)

 

       このお方の前にすべてのことを持ち出して祈りましょう。主

       はあなたのすべてをご存知です。受難節の期間、特に覚えて祈

       りましょう。    (2023年3月週報より)





 

     ウクライナとロシアの戦いは続いています。ロシアに宣教師として行か

    れている女性のことを祈っていました。ロシアに今もおられます。最近の

情報は、「日本のカードが使えなくなりました。ネットがつながらないこ

が増えてきました。日本語クラス(日本語を教えながら宣教しています)

   がこれからどうなるかわかりません」という情報です。ある情報では、帰国

したくても飛行機がなかなかないということも言っていました。

 

   またポーランドにある教会(バプテスト)は、ウクライナからの避難民

   を受け入れているそうです。会堂も宿泊している人がいるそうです。世界

 が心を痛めています。

 

 ウクライナのクリスチャンが讃美し祈っていま。そして、ロシアのクリス

チャンも同じです。みんな平和を願っています。現地の人々の生活はかなり

困難になっています。戦争は、何の良いものをも生みださないことはみんな

分かっています。歴史は繰り返します。たとえ戦争が終わっても心の中には、

憎しみ痛み、苦しみは深く人々の心に残ります。本当に早く戦争が終わるこ

   とを願い、祈りましょう。

 

 

    今教会歴では、レント(受難節)です。先週は、ペテロがイエスさまを

   3回知らないと否んだ個所でした。一番弟子と言われるくらいのペテロが、

   イエスさまと同じように逮捕されるのではないかと恐れました。「確かに、

   あなたはあの人たちの仲間だ。ガリラヤ人だから。」と言われると、「私は、

   あなたがたが話しているその人を知らない」と言ったのです(マルコ14:

   70~71)。私たちはとっさに何か言われると、うまく応答できないこと

   があります。やっぱり弱いのです。自分が可愛いのです。ペテロのことを

   私たちは非難できません。しかし弱いペテロを、イエスさまはもうその前

からご存知です。

 

  「わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りまし

   た。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」

                        (ルカ22:32)

 

    イエスさまは、私たちのためにも今日も祈っていてくださいます。弱い

  私たちですが、その祈りに支えられて歩んでまいりましょう。

 

 

   私は、毎朝ローマ人への手紙を読んでいます。昨日の箇所に、「彼は望

   み得ない時に望みを抱いて信じ、『あなたの子孫は、このようになる』と

   言われていたとおり、多くの国民の父となりました。」(ローマ4:18)

   とありました。彼というのは、アブラハムのことです。アブラハムの奥さ

   んは、サラです。アブラハムとサラは、子どもが与えられませんでした。

   しかし神さまはアブラハムに、空の星を数えるように言われ、このように

   あなたの子孫はなると言われました。アブラハム(その頃の名はアブラム)

   はその神さまの言葉を信じたのです。しかしすぐに実現したわけではあり

   ませんでした。色々ありながらも神さまの約束は、その通りになりました。

創世記の第12章以降に記されています。

 

 

 

    「望み得ないときに望みを抱いて信じる」この言葉は、私の心を打ちま

   した。皆さん祈っておられることがありますか?ずっと祈っていても何の

   変化もないと思うことがありますね。子どもの事、仕事の事、親の事・・・

全然変わらないような時も私たちは、神を信じていくのです。

 

 

    ある牧師先生が今65歳で難病になり伏しておられます。昨日奥様に

   電話し、奥様とお祈りしました。奥様が「こんなことになるなんてと思い

   ましたが、神さまはこのような中にも不思議なことを幾つもしてくださっ

   ています。私は不思議に平安です」と言われました。厳しい病状を告げら

   れています。まさしく望み得ないような時です。しかし、神さまがこのこ

   とも知っていてくださると信じ歩む姿に大変教えられました。目に見える

ことがどんなに困難でも、祈りつつ神さまを信じて歩んでまいりましょう。

 

   「望み得ないときに望みを抱いて信じる」この御言葉ぜひ覚えていきまし

ょう。十字架にかかるほど私たちを愛してくださる主を仰いでまいりまし

   ょう。                 (2022年2月の週報より)


       「民よ どんなときにも神に信頼せよ。

        あなたがたの心を 神の御前に注ぎだせ。

       神はわれらの避け所である。」(詩篇62:8)

      

      「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。

         たじろぐな。わたしがあなたの神だから。

       わたしはあなたを強くし、あたを助け、

          わたしの義の右の手で、あなたを守る。」

(イザヤ41:10)

      

昨年、教会の方にこの2つのみ言葉を書いていただきました。優しい

温かい字で心が癒されますね。そしてこの御言葉いかがですか。いい御

言葉ですね。新しい年がどんな年になるでしょう。

楽しみなことがおありの方もありますね。もちろん新しいスタートを

切る人もおられます。しかし不安な面もあります。コロナ感染がいつま

でか?年末から連発する地震も私たちに不安を与えます。体調面で不安

がある方もおられるかもしれません。こどものことや親のことがと私た

ちは、信仰と不安の中を生きています。

 そのような中で、上のみ言葉「どんなときにも神に信頼せよ」との言

葉は大きな力になります。恐れに心が満たされたとき「恐れるな。わた

しはあなたとともにいる。」この御言葉を読むときにどんな感じがします

か?私は大きな励ましと平安を頂きます。御言葉には、私たちを救う力

があるのです!!

 このカレンダーをはって、この御言葉を覚えてください。この一年こ

の御言葉に励まされた、支えられたということが起こると思います。

 新しい一年も神さまに愛されているお互いを覚えて歩んでまいりまし

ょう。みなさまと共に礼拝し共に御言葉に聴き、お互いのために祈り励

まし合って歩んでまいりましょう。

「神は、実に,そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。

それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを

持つためである。」(ヨハネ3:16)