コラム  (週報ー風ーより)


        


     


                  

 台風の直撃が予想されます。主の守りを祈ります。岩手や北海道での

 

台風被害を見ますと備えなければと思います。神さまが被害を受けられ

 

た方々を慰めて下さることを祈ります。

 

   イエスさまには、12弟子がいました。この12人はイエスさまと寝

 

食を共にしました。12人は、取税人、漁師、熱心党員など様々な職種

 

の人がイエスさまに出会いついて行くことになりました。イエスさまは

 

なぜ弟子をお選びになったのかというと、「身近に置き、また彼らを遣

 

わして福音を宣べさせ、悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。」

 

(マルコ3:14)とあります。イエスさまとの旅は、楽しくもあり、

 

深く考える事も多い旅であったと思います。

 

 ある日イエスさまが弟子たちを船に乗せ自分より先に向こう岸に行か

 

せられました。イエスさまは一人で祈っておられました。船が進んでい

 

くうちに向かい風に遭い漕ぎあぐねました。弟子たちは焦っただろうと

 

思います。夜中の3時頃、イエスさまは、疲れていたであろう弟子たち

 

の前に海を歩いて近づいて来られました。弟子たちは幽霊かと思い怯え

 

ました。するとイエスさまは、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れるこ

 

とはない。」(マタイ14:27)と言われました。ペテロは、歩いてイ

 

エスさまの所に行くことを願い、「来なさい」との声にイエスさまに近づ

 

きますが、風を見て怖くなりおぼれかけ、「主よ助けて下さい」と言って

 

助けていただき、イエスさまと共に船に乗り、風はやんだのです。

 

 私たちも順風満帆の時だけでなく向かい風に悩むことがあります。焦り

 

疲れます。風を見て怖くなることがあります。そのときあなたはだれに助

 

けを求めますか。この世界を造り、私たちを造り愛しておられる方に祈り

 

ませんか。その時に「恐れることはない」との声を聞きます。

 


             


             


        


          


                    


        


        


                      


        


        


      

        


       


                  


        


         


風 No.248 2016年3月6日  

 3月になり、いよいよ春という感じがします。神さまの恵みを数えて  歩みましょう。   イエスさまは、ご自分がいよいよ十字架にかかる時が近づいていることを悟られました。3年半寝食を共にした弟子たちを最後まで愛されました。その愛を洗足という形で示されました。当時の社会では、奴隷が帰宅した主人やお客の足を洗ってから家にあがって食事をしたようです。イエスさまが自らたらいに水をくんで、タオルを腰にまとわれたというのです。そして弟子の足を一本ずつ洗い、拭き始められました。弟子は、きっと驚かれたと思います。ですから弟子のペテロは、「決して私の足をお洗いにならないでください。」と言っています。しかし、イエスさまは、洗わないと何の関係もなくなると言われました。イエスさまは、「模範を示したのです」と言われました。足を洗い合うこと、それは愛し合うこと、赦し合うことをイエスさまが示されました。これからイエスさまを裏切る足、イエスさまと同じように逮捕されることを恐れて逃げる足、そんなことをイエスさまは知って一本ずつ足を丁寧に洗い拭かれました。この時の弟子はよく分からなかったでしょうが、あとでイエスさまの愛を感じたことでしょう。

 私たちは、イエスさまに愛されています。しかし、隣にいる人のことを愛するのは難しいです。相手のことを赦すと言ってもどこかで赦せないのです。そんな私たちのためにイエスさまは十字架に向かって歩まれたのです。お互いそのイエスさまに赦され愛されている者として、愛し合い赦し合って歩みたいのです。

「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」(Ⅰヨハネ4:10)      伝道師 相原幸紀美


 

 No.2412016年1月17日

 

   昨日は、餅つきでした。子どもたちとご家族がお餅をつき、食べて

 

  楽しみました。お天気に恵まれ暖かな良い一日でした。皆さまのお祈

 

りを心から感謝致します。

 

 先週第一礼拝で、イエスさまの洗礼(バプテスマ)を学びました。

 

洗礼は、自分の罪を知り、自分勝手に生きてきた生き方を悔い改め、

 

新しく神さまと共に歩む人生に行き直すことです。イエスさまは、人

 

ですが神の子ですから罪をおかされませんでした。ですから、本来は

 

洗礼は、必要ないのです。ですからヨハネは「私こそ、あなたからバ

 

プテスマを受けるはずですのに、あなたが、私のところにおいでにな

 

るのですか。」(マタイ3:14)と言います。それに対してイエスさ

 

まは、「今はそうさせてもらいたい。このようにして、すべての正しい

 

ことを実行するのは、わたしたちにふさわしいのです。」(15)と言わ

 

れヨハネは、承諾しイエスさまに洗礼を施します。

 

 イエスさまは、私たちにも洗礼を受けてほしいと手本を示されました。

 

生き方を自分中心から神中心へ変えて欲しいと望んでおられます。また

 

イエスさまは、罪がないお方ですが、罪ある私たちと同じ低さまで下が

 

って下さいました。なかなか自分の罪を認めないのが人間です。でもイ

 

エスさまは、そんな私たちを知り低くなるように願っておられます。

 

 イエスさまの十字架への歩みは、ある意味でここからスタートします。

 

洗礼はゴールではなく、神さまと共に歩むスタートです。また洗礼を受

 

けたからといって罪を犯さなくなるのではないのです。より自分の弱さ

 

を知ることでしょう。しかしそのたびに「これは、わたしの愛する子、

 

わたしはこれを喜ぶ。」(17)という声を聴くのです。あなたも、イエ

 

スさまを信じ共に歩む者になりませんか。