コラム  (週報ー風ーより)


 

    

 

        イスラエルの人々は、モーセの死後ヨシュアをリーダーとして 

       神さまの約束の地を征服していきます。そのあと各部族ごとにく 

じをひいて割当地をもらいました。

 

 

 

        カレブという人が来ました。この人はカナンの地の偵察に行っ

        ときに信仰の目をもって報告した人です。彼は、今85歳です。

       「今日、私は85歳です。モーセが私を遣わした日と同様に、今

       も私は壮健です。私の今の力はあの時の力と変わらず、戦争にも

日常の出入りにも耐えうるものです。」(ヨシュア14:11)

 

       「今、主があの日に語られたこの山地を、私に与えてください。

        そこにアナク人がいて城壁のある大きな町々があることは、あの

        日あなたも聞いていることです。しかし、主が私とともにいてく

       だされば、主が約束されたように、私は彼らを追い払うことがで

きます。」(ヨシュア14:12)

 

 

 

        非常に前向きです。彼は自分の信仰生活を、「私の神、主に従

       通しました。」(ヨシュア14:8)と言います。素晴らしい告

       白です。

 

        信仰生活は、多くの場合長距離ランナーのようです。その歩み

       の中では、楽しいことや喜びがあります。しかし試練もあります。

       祈っても祈っても解決しないことがあり、信仰がゆすぶられこと

       があります。心がなえ、祈ることが空しく思うことがあります。

       そのような時思い出してください。神さまは、あなたを離れない

       で共におられるということです。そしてあなたのために天でとり

       なしておられます。またあなたの知らない所で誰かが祈っておら

       れるということです。信仰生活は、一人で頑張っても弱くなりま

すが、励まし合い祈り合うことが大切です。

 

       85歳のカレブは、神さまを見上げて歩んでいます。私たちも

 そのようにゆるされるときまで歩んでまいりましょう。また誰か

 のために祈る一週間となりますように。

 

祝福をお祈りいたします。

 

 

           (2021年6月27日週報より)

   

 


 

 

 


 

 

      イスラエル人を奴隷の地エジプトから解放するリーダーがモーセで

    す。モーセは、エジプトの王ファラオの所に行きイスラエル人を解放

    するように言います。しかしファラオは、モーセの言葉に聞く耳を持

    たず、さらに重労働を強いることになります。するとイスラエル人は

    モーセに詰め寄りなぜ自分たちを苦しめるのかというのです。モーセ

    は神さまに訴えます。「それでモーセは主のもとに戻り、そして言

    った。『主よ、なぜ、あなたはこの民をひどい目にあわせられるので

    すか。いったい、なぜあなたは私を遣わされたのですか。』」(出エジ

    プト5:22)れに対して神さまは、「・・・わたしはあなたがた

    を取ってわたしの民とし、わたしはあなたがたの神となる。あなたが

    たは、わたしがあなたがたの神、主であり、あなたがたをエジプトで

    の苦役から導き出す者であることを知る。」(出エジプト6:7)と言

    われますが、イスラエル人はモーセの言うことを聴こうとはしません。

    しかし神さまは、エジプトに様々な自然災害を起こされます。川が血

    に、かえる、ヨブ、アブ、疫病、雹、イナゴなどです。ファラオは災

    害が収まるなら民を解放すると言いながら約束を守らず、心変わりを

    します。そのようなファラオを聖書はこう記しています。「主はファ

    ラオの心を頑なにされたので、ファラオは二人(※モーセとアロン)

    の言うことを聞き入れなかった。主がモーセに言われたとおりであっ

    た。」(出エジプト9:12)ついに最後のわざわいです。それはエジ

    プトのすべての長子の死です。イスラエル人の家の鴨居に子羊の血を

    塗らせ、それ以外の家の長子が死ぬという禍です。ファラオの長子は

じめすべての長子がなくなり悲しみの叫びがその晩響き渡りました。

 

    そしてイスラエル人が解放されることとなりました。イスラエル人で

    さえ神さまの業を信じられなかったのですが、神さまは約束どおり御

業をなしてくださいました!

 

 

     私たちは、やめられない罪があったり、過去の罪、死の恐怖に縛ら

    れ奴隷のような感じかもしれません。解放されたいと望んで心で叫ん

    でいるのかもしれません。そのような私たちのために神の子羊なるイ

    エスさまが、十字架で血を流し身代わりとなって下さいました。信じ

    る者は、罪や死の恐怖の奴隷になることはないのです。あなたは愛さ

    れています。赦されています。イスラエル人がエジプトの地を出てカ

    ナンの地を目指し主と共に歩んだように、私たちもイエスさまと歩ん

    でいきましょう。今苦しみの中や試練の中にいる方、神さまはあなた

の痛みを知り、必ず御業をなしてくださいます!

          (2021年5月9日週報より)

 


 

     創世記の最後にヨセフ物語があります。ヨセフは、エジプトの大臣

    なり、飢饉が続くカナンより親兄弟と家族をエジプトに招き暮らすよう

    になりました。その後エジプトに定住しましたが、エジプト人より数が

    増加し、エジプト人は脅威を感じるようになりました。そこで、エジプ

    トの王は、イスラエル人を奴隷とし、過酷な労働を強いました。さらに、

イスラエル人に男子が生まれたら殺すように助産婦たちに命じました。

 

     しかし助産婦のシフラとプアは、王の命令に背いて子を生かしました。

    王から、なぜ生かしておいたかと言われても、イスラエル人の女性たち

    は元気で、自分たちが行く前に産んでしまいます、と答えました。この

神を畏れる助産婦に神さまは良くしてくださいました。(1章)

 

     そのような時代に、あるイスラエル人の家庭に男の子が生まれました。

    「男児が生まれたらナイル川に投げ込むように」という王の命令が出た

    ときです。両親は、3カ月隠して育てましたが、隠しきれなくなり瀝青

    と樹脂を塗ったかごにその子をいれナイル川に流します。両親は祈った

    ことでしょう。姉のミリアムが流れるかごを見守ります。するとなんと

    いうことでしょう。その子はエジプト王の娘の目に留まり、かごは引き

上げられました。イスラエル人の子どもだと分かりました。

 

    「それを開けて、見ると、子どもがいた。なんと、それは男の子で、泣

    いていた。彼女はその子をかわいそうに思い、言った。『これはへブル人

    の子どもです。』その子の姉はファラオの娘に言った。『私が行って、あ

    なた様にへブル人の中から乳母を一人呼んで参りましょうか。あなた様

に代わって、その子に乳を飲ませるために。」(出エジプト2:6~7)

 

     川に流した子どもが帰ってきて、王の娘の命令で母親が乳を飲ませる

    ようになろうなどと誰が考えることができたでしょうか。ここに実は神

    さまの深い計画があります。この子は、モーセです!イスラエル民族を

    奴隷の地エジプトから救い出すリーダーとして、神さまが誕生させたの

    です。モーセは、実母の乳を飲み、家族に愛され、やがてエジプトの教

    育を受けます。しかしモーセは、殺人を犯して逃亡することになります。

    40歳まで、異国の地で隠れるように生活し、妻子を得、過去を忘れる

    かのように生活します。そのような中でも神さまは、モーセを忘れず、

いやすべてを知って召し出されます。神さまのご計画は、不思議です!

 

     私たちの計画を越えて、神さまは豊かに働かれます。苦しみや悲しみ

があっても神さまはどこまでも共におられるお方です。信じましょう。

 

    「わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている

     ――主のことば――それはわざわいではなく平安を与える計画であり、

あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」(エレミヤ29:11)

 

              2012・5・2週報より 

 


私の住む家の周りにある草花は、元気です。

ぶどうの新芽(実も)、アジサイ、タイムなど生き生きとしています。冬の間は、枯れたようになっていましたが、春になったら一斉生き返りました。心が明るくなります。花をよく見ると、色、形、大きさの違い、花によくあった葉すごいなと感動します。また気が付かないようなところにも花が咲き頑張っているなと励まされます。

私たちは、自然界から力をもらいます。神さまがお造りなった自然界です。

 イエス様も地上の生涯を歩まれたとき花を見られて言われました。

 

「しかしわたしはあなたがたに言います。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の1つほどにも装っていませんでした。今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。信仰の薄い者たち。ですから、何を食べようか、何を飲もうか、

何を着ようかと言って心配しなくてよいのです。これらのものはすべて、異邦人が切に求めているのです。あなたがたにこれらのものすべてが必要であることは、あなたがたの天の父が知っておられるます。」(マタイ6章)

 

 あなたは神さまの愛の中におられます。神さまはイエスさまとして地上を歩まれ、生活する苦しさ、人に誤解されるつらさ、肉親との別れの悲しみ、うらぎり、十字架の肉体の痛みなど人が経験する痛みをすべて体験されました。だからあなたの今の辛さが分かります。そしてそのお方に心ひらいていのるなら近くおられる平安を経験するでしょう。

 

いまコロナで大変です。孤独、恐れ、言いようもない不安が私たちに迫っています。しかし神様は、見捨てず見放さないと言っておられます。ありのままの気持ちを祈って下さい。

祈ってみたい、聖書に触れてみたいというかたは、勇気をもって教会の戸を叩いてみて下さい。近くに教会がないという方お問い合わせください。あなたの祝福のためにお祈りします。

 

 

 

 

 


 人は必ず死ぬ日が来ます。突然何をと思うかもしれません。

 これはだれにでも訪れるもので、避けることはできません。どんなにお金があってもどんないい医者にであってもそれは避けられません。ある人は、死が怖いと思いますしある人は楽になれると思っています。死んで終わりといいますが本当にそうでしょうか。

 

 聖書の言葉に「人間には一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように・・・」

とあります。死んだあと裁きを受けることが決まっていると、だとしたら私は天国に行ける?・・・

私は幼い時に人のものを取ったことがあります。謝りましたが「泥棒」といわれいじめにあいました。ですから

この言葉を読んだ時、私は死ぬことが怖いと思いました。あなたはいかがですか?

 

 

しかし聖書はその続きがあります。

「キリストも多くの人の罪を負うために一度ご自分を献げ、二度目には、罪を負うためにではなく、ご自分を

待ち望んでいる人々の救いのために現れて下さいます。」(へブル9:28)

イエスキリストは、私たちの罪のために十字架で死んでくださいました。十字架刑は、手と足にくぎを打たれ

人びとにさらされ長い時間かかって死んでいきます。それは苦しいものです。イエスさまは罪がないのに私や

あなたのために十字架で死んでくださいました。それはあなたや私を愛していて下さるためです。そして3日目によみがえり40日間あらわれ天に帰られ、またお出でになられます(再臨)。

 

クリスチャンは、死ぬことは悲しいことですが、絶望ではありません。イエス様がよみがえられたように私たちも

やがて復活されると信じています。希望があるのです。

 

イエス様が復活されたことを覚え感謝するのがイースターです。死は悲しいことですが絶望ではありません。

イエスにある希望です!!

今は本当に苦しい、ストレスの多い時代です。でもイエスさまは信じ祈るとき希望を持つことができます。

もし死にたい、辛いという方がおられたらぜひ教会を訪ねて下さい。一緒にお祈りしましょう。神さまはあなたを愛しておられます。

 

 

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世(あなた)を愛された。

   それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」                    (ヨハネ3:16)

                      (2021.4.4)


 

聖書の中にこんな言葉があります。

 

     「そこで、マノアは主の使いに言った。「お名前は何とおっしゃいます

      か。あなたのおことばが実現しましたら、私たちはあなたをほめたたえ

     たいのです。」主の使いは彼に言った。「なぜ、あなたはそれを聞くのか。

わたしの名は不思議という。」(士師記13:17-18)

 

 

 

      神さまの恵みは時々私たちの想像を超えて働きます。そのような経験

     をお持ちでしょうか?祈っていたけど祈ることさえ忘れていたが、振り

     返ると神さまは不思議な素晴らしいことをしてくださったということが

     ありませんか?私はいくつもあります。新しい方が導かれたとき、洗礼

     を受ける決心をされたとき、会堂を与えられたとき、教会の方の病が癒

     されたとき、お墓のこと、幼稚園のこと等、神さまの不思議な業の連続

     であると思うのです。個人の問題でも主はいつも最善でした。今あるは

神の恵みです。十字架の上で苦しみ私たちを愛し赦して下さったお方、

3日目によみがえって私たちに新しい命を与えて下さるお方は、今日も

生きて働いておられます。そのお方を信じて祈りましょう。

 

      不思議と言われる神さまの導きをこれからも期待しましょう。家族へ

     の恵みと救いを信じて祈りましょう。私たちを愛してくださる神さまは

     あなたの祈りを無駄にはされません。きっとあなたの人生に、不思議な

神さまのみ手が働かれます!!

             2021年2月28日週報より

 


 

 

      

 

     多布施川を見ていたら水仙の花が咲いていました。コロナで世界中が

     騒いでいますが、自然界は変わりなく神さまの恵みの中を生きている

     と感じました。先日は朝早く外に出るとすごく明るいと感じましたら、

     月明りでした。月の明るさにしばし感動しました。

 

 

 

      神さまは、造られたものをもって神さまを現されます。月や太陽を

     見てすごいなと思います。秩序をもって回っています。季節の花々は、

     その時を知って咲きます(もちろんちょっと狂うこともありはします

     が)。神さまがお造りになった私たちの体もすごく精密です。よくで

     きています。ひとつひとつが神さまのみ業です。よく考えると生かさ

     れている不思議を感じます。

 

 

      「天は神の栄光を語り告げ 大空は御手のわざを告げ知らせる。」

                       (詩篇19:1)

 

     天体を通して神さまがわかるんだと詩編の著者は言っています。教会

     に来られない人でも、大自然を見ると自分の小ささに気づいたりしま

     す。神さまを感じるように、神さまは人間を造られました。

 

 

      疲れたとき、淋しくなったとき、もちろん嬉しいときも、ぜひ神さ

まが造られた物を見てください。

 

 

 

     「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのよう

     に装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださら

     ないでしょうか。信仰の薄い人たちよ。ですから、何を食べようか、

      何を飲もうか、何を着ようかと言って、心配しなくてよいのです。」

                        (マタイ6:30~31)

 

 

      神さまは、あなたのことを愛しておられます。心配しなくて大丈夫で

     す。不安になるときは、御言葉にすがって祈りましょう。十字架にお

     かかりになるほど愛していて下さるお方があなたと共におられますか

     ら。上手くいかないこともあるかもしれませんが、神さまにとっては

     最善の道と信じて歩んでいきましょう。あとでわかることも多いもの

     です。あなたの歩みのためにお祈ります。

 

 

 

 

                     (2021年1月31日週報より)

 




「たとえ山が移り、丘が動いても、

  わたしの真実の愛はあなたから移らず、

 わたしの平和の契約は動かない。

  ーあなたをあわれむ方、主は言われる」(イザヤ54:10)

 

 新型コロナウイルスによって緊急事態宣言が発令されて、教会での礼拝は中止し、家庭で礼拝を守っていました。しかし5月17日から礼拝できるようになりました。感謝です。第2波、第3波も心配されていますが祈るのみです。日本の為、世界のためにお祈りいたしましょう。

 

 ときどき神様わたしの祈りを聞いておられるなかな?と思うことや神様の愛を感じることができなくなるようなつらいことを経験するのではないでしょうか。人から見れば、大きな事でなくても自分では辛く思えることがあります。ないほうがいいですが、私たちは人生を歩む中でそんな時を過ごします。まるで出口のないトンネルにいるような…。神さまを信じ祈っているのに祈りがとどいていないようなそんな時です。私もそんな風に思えるときがあります。そんなとき祈りの言葉もでないようなときは、聖書の言葉を何度もいいます。

 上記の聖書の言葉は、慰めになるといいです。「山が移る?丘が動く?」ありえないようなことです。信じられないようなことが起こっても、神様の愛はあなたから移らないし、平和の契約は動かないというのです。一見愛されてないと感じることがあっても神さまの愛は、変わってないんだということです。あなたがそう感じているだけだというのです。そしてあなたを憐れむ方がおられるのです。なんどもこの御言葉を言い告白しましょう。

 そして神様にありのまま祈りましょう。「私は今くるしいです。」「どうしてこんなことが・・」そして今まで神様によってなされたことや人々を通してなされた感謝なことを思い出しましょう。きっと今の状況も神さまの力によって乗り越える道が、開かれ知恵が与えられることでしょう。

「私たちすべてのために、ご自分の御子さえも惜しむことなく死に渡された神が、どうして御子とともにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがあるでしょうか。」(ローマ8:32)

「2羽の雀は、2アサリオンで売られているではありませんか。そんな雀の一羽さえ、あなたがたの父の許しなしに地に落ちることはありません。あなたがたの髪の毛さえも、すべて数えられています。」(マタイ10:29,30)

十字架で愛を示され、死んで3日目によみがえられた恵みの神様が、あなたと共におられます。今週も主と共に歩みましょう。

 


「女が自分の乳飲み子を忘れるだろうか。

  自分の胎の子をあわれまないだろうか。

   たとえ女たちが忘れても、このわたしは、あなたを忘れない。

 見よ、わたしは手のひらにあなたを刻んだ。」(イザヤ49:15)

 

 みなさまいかがおすごしでしょうか。

 5月10日は母の日です。今年の母の日は、新型コロナウイルスの影響で母に会えない、一緒に食事ができないと残念に思っておられる方もおられるでしょう。どんな人にも神様は、お母さんを与えて下さいました。

 お母さんは、子どものことをいつも思っています。ご飯を食べているかな、元気でいるか・・・。ここにあるように特に幼い子を乳飲み子をもつ母親は、年中気を配っています。胎内に宿した胎児を思いやります。しかし、

もし忘れるような母親がいたとしても、「わたし(かみさま)は忘れない。」と言われるのです。神さまは私たちのことを忘れないのだというのです。自分は、親から愛されなかった、だれも自分を覚えてくれていないと言いたくなるようなことがあっても聖書の神様は、あなたを忘れてないよと言ってくださっているのです。

そして、神様の手のひらにあなたを刻んだ、刺青のようにいつもあなたの名があるというのです。それは、十字架の傷です。あなたの死への恐怖、孤独、誰にも愛されていないという苦しみ、忘れてしまいたいような罪を全部引き受けてイエス様は、十字架にかかって死んでくださいました。あなたのためにわたしのために痛みを負ってくださいました。なんという愛ですか。私たちが神様を知らない、頼んでないのに神様は、愛をあらわされました。そして3日目によみがえられ、生きておられます。今もあなたのために天でとりなしておられます。

 神さまの愛をぜひ信じてみませんか。神さまは、あなたを招いておられます。母親があなたを十分愛してくれなかったかもしれないでも神様は、あなたを愛しておられます。子どもを十分に愛せなかった、そうです私たちの愛は不十分です。後悔に苦しんでおられる方イエス様は、あなたをゆるし慰めてくださいます。

 今新型コロナで疲れ苦しんでいる方のためにお祈りします。神さまの愛が注がれてそれを感じることができますように。不安や恐れがあるそのままを祈って下さい。神さまの言葉「あなたを忘れない」を信じて受け止めて下さい。あなたのためにお祈りしています。

「神様、わたしは、今孤独です。恐れ不安でいっぱいです。どうか助けて下さい。わたしを忘れないと言われる神様が分かるように、信じれるようにお願いします。わたしを助けて下さい。主イエス様のお名前によって祈ります。アーメン」

 

 

 










  No.2302015年11月1日

  11月になりました。秋の空をバルーンが飛んでいます。下ばかり見が

 ちな私たちですが、空を見上げ主をあがめたいものです。

  先週の第一礼拝では、旧約聖書のルツ記を読みました。ナオミは夫エリ

メレクとふたりの息子とイスラエルに住んでいましたが、飢饉があり、彼

らはモアブという外国に住むことになりました。二人の息子はモアブの娘

を妻にし、6人で住んでいました。しかし、ナオミの夫エリメレクと二人

の息子は亡くなりました。残されたのは年老いたナオミと二人の嫁です。

ナオミの悲しみははかり知れません。ナオミはふるさとベツレヘムに穀物

が取れるようになったと聞き、故郷に帰る決心をします。そこでモアブ人

の二人の嫁に実家に帰るように促します。再婚出来ればそれがいいという

願いです。二人の嫁は泣き、一人の嫁は、帰る事にします。しかしルツと

いう嫁は、「あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住

みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。」(ルツ1:16)

と言い、年老いた義母ナオミから離れず共にベツレヘムに行きます。ルツ

にとってイスラエルは外国で不安もありましたが、義母ナオミとその神を信

じ生活を始めます。当時ゆるされていた落ち穂を拾って生活します。それが

はからずも遠い親戚ボアズの畑です。ボアズはナオミやルツのことを聞き、

配慮し大切にします。その後ボアズとルツは結婚し、オベデが誕生します。

オベデは、ダビデの祖父、その子孫として、やがてイエスさまが生まれま

す。イエスさまはユダヤ人ですが、その系図の中にはモアブ人の血、すな

わち異邦人の血も入っています。イエスさまは世界の救い主なのです。

 ナオミとルツの人生は、悲しみの多い人生でした。しかし、神さまはそ

の涙を喜びに変えて下さいました。神さまは涙を喜びに変えることがおで

きになります。あなたの涙も神さまはご存知です。信じてみませんか?

                  佐賀神の教会伝道師 相原幸紀美  


 No.2292015年10月25日

  秋の良い日が続いています。町の街路樹も少しずつ紅葉し、秋の豊かさを

感謝します。

さてヨセフ物語も終わりです。兄たちにねたまれエジプトの商人に売られ

たヨセフですが、彼と共に主がおられ苦難の中にも忍耐と慰めが与えられま

した。ヨセフがエジプトの王パロの夢の解きあかしをして、エジプト王に次

ぐ権威者となります。30歳のヨセフです。7年間の豊作の後、ききんがエ

ジプト全土と周辺国に起こります。人々はエジプトに食料を求めて来るよう

になりました。ヨセフの父イスラエル(ヤコブ)も兄たちに命じてエジプト

のヨセフの元に食料を買いに来ます。兄たちにはヨセフとは分かりません。

自分が売ったヨセフがまさかエジプトの権威者になっているなんて夢にも思

わないからです。しかしヨセフには分かるのです。自分を売った兄たちの背

後に両親が見えてきます。ヨセフは両親が元気かと聞きます。すぐには身許

を明かさず兄たちが、変わったかを知ろうとします。色々な手段で少しずつ

兄たちを観察します。第45章には、もう自分を制することが出来ず、泣き

ながら兄たちに自分がヨセフだと告白する姿が描かれています。ヨセフは、

兄たちに自分のことで心を痛めないようにと配慮ある言葉を話し、その上で

「今、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、実に、神なのです。」

(45:8)と言います。その後ヨセフは、一族をエジプトに呼び寄せます。

父との再会を果たすのです。

苦難の中で彼の人格も育ちました。彼が権威ある立場につくための神さま

からの訓練だったのかもしれません。神さまは、私たちの人生にも計画をお

持ちで、無駄なことは一つもありません。ヨセフは兄たちに「あなたがたは、

私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいまし

た。」(50:20)と。どうぞ創世記37-50章をお読みください。

              佐賀神の教会伝道師 相原幸紀美     


   No.2272015年10月18日

   先日のコリアンカフェ、秋のコンサートに昨年も参加された方や久しぶ

りの方、韓国語教室の方がお出で下さり感謝します。スヨンロ教会のご婦

人たちは、仕事の都合を合わせ、家族の理解を受け、自分を献げて、教会

から派遣されて宣教のためにお出で下さいました。感謝します。

 ヨセフ物語は、わたしたちを励まします。ヨセフは兄弟によってエジプ

トの商人に売られます。愛する両親から引き離され、言葉も文化も違う所

に置かれます。たった一人と感じます。しかしひとりではないのです。

「主がヨセフとともにおられたので、彼は幸運な人となり、そのエジプト

人の主人の家にいた。」(創世記39:2)主、神さまがヨセフと共におら

れたと聖書はいいます。何度も記しています。しかしその主人の妻にはめ

られ獄中に入れられます。「しかし、主はヨセフとともにおられ、彼に恵み

を施し、監獄の長の心にかなうようにされた。」(39:21)獄中でも神

さまは共におられたのです。その中で夢を説き明かします。ヨセフは解き

明かすのは自分ではなく神さまですとはっきり言います。夢の通りになっ

たら思い出してくださいと言いますが、ヨセフは忘れられてしまいます。

2年も。

上手くいきそうで行かないそんなことないですか?お祈りをしてもなか

  なかかなえられず苦しむことがあります。しかし神さまは、あなたを見捨

てたり見放したりされたわけではないのです。ですからわたしと共に神さ

まがおられることを信じて置かれたところで真実に誠実に歩むことが大切

です。あなたに与えられた仕事、主婦としての勤め、子育て、介護そのあ

なたとともにおられる神さまは、時が来たときに不思議な恵みを下さいま

す。信じてこの週も歩みましょう。

              佐賀神の教会伝道師 相原幸紀美



 No.2262015年10月11日

   幼稚園の運動会のためにお祈りいただきありがとうございました。大き

な怪我もなく楽しい運動会を行う事が出来感謝しています。明日は、コン

サートです。6時からです。また3時ぐらいからコリアンカフェを開きま

す。ゆっくりと交わりの時としたいと思います。ぜひお越しください。

 先週の第一礼拝からヨセフ物語が始まりました。創世記37章からヨセ

フの人生は、書かれています。ヨセフの父は、イスラエル(ヤコブから改

)、彼には11人子どもがいました。ヨセフは10番目の子どもですが、

一番愛された子どもです。特別な服を作ってもらいヨセフ自身も喜んでい

たようです。ヨセフは、兄たちからねたまれているのに、夢の話をします。

「麦の夢」(37:7-8)と「天体の夢」(37:9-11)です。ます

ます兄たちのねたみは強くなります。兄たちは羊飼いでした。父はヨセフ

に兄たちの様子を見に行くように命じます。兄たちは、遠くにいるヨセフ

を見つけ殺そうと企てます。年長のルベンは、密かに助けようと思い、殺

すことには反対します。結局は、ルベンがいないときにエジプトに向かう

商人にヨセフを銀20枚で売ったのです。兄たちは、ヨセフは雄やぎにや

られたと父に報告するのです。父の悲しみは、深いのです。ヨセフの人生

は、どうなることでしょう。

 ヨセフの人生は、波瀾万丈です。兄弟にねたまれ、おとしめられ、愛す

る両親から引き離される。なんという青年期でしょう。ヨセフは、泣き苦

しんだかもしれません。神さまに捨てられたのかと思ったのかもしれませ

ん。そんな彼の思いを越えて、実は深い神さまのご計画があったのです。

あなたの人生にも神さまのご計画があるのです。

イエスは答えて言われた。「わたしがしていることは、今はあなたには

からないが、あとでわかるようになります。」(ヨハネ13:7)

                 佐賀神の教会伝道師 相原 幸紀美



No.2252015年10月4日

   「彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、

    悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや

    過ぎ去ったからである。」(黙示録21:4)

    10月1日に古賀紀美子姉は、静かに眠るように息を引き取られ、

   天に召されました。病気が分かって約1ヶ月、見る見るうちに衰弱さ

   れました。1ヶ月前は自転車でお買い物もされていましたから驚きで

す。77年の人生でした。昭和44年に洗礼を受けられ、信仰の生活

を始められました。忠実に礼拝を守り、聖書に親しむことを喜びとさ

れました。私たちの教会には、2年ほど前にお出でになり「お役に立

つよりご迷惑をおかけする方が多いですが良いですか?」と言われ、

牧師が「私はそのためにいますから。」と答え、転会され教会の家族と

なられました。

ご病気になられてからは、告別式の話をされました。お花や写真、聖

書の箇所、讃美歌等を選ばれ、告別式では「沢山のご迷惑をおかけしまし

た。お許しください。また沢山のお祈りとご親切にありがとう。」

と伝えてくださいと言われました。亡くなられる数日も「主とともに」

と何度も言われ主の手にすがられ、天国への階段を登っているようでし

た。長年疎遠であったご兄弟に見送られ、讃美歌と聖書のみ言葉にすが

りながら静かに天に召されました。

 古賀紀美子姉のご苦労の多い77年、一人で淋しい時もあったでしょ

う。辛いことも悔やむことも、悲しいことも痛みもおありだったでしょ

う。しかし今は主のそばで、すべてから解放され、再臨の日まで眠って

おられます。いつか主の前で再会できるのを楽しみにしています。ご遺

族の皆様、親しくされていた方々に天父のお慰めをお祈りいたします。

                 佐賀神の教会伝道師 相原 幸紀美



      No.2242015年9月27日

   皆さまにお祈りいただいています古賀紀美子姉妹ですが、今緩和ケアに

主と共におられます。讃美歌を一日中聞きながら安らかに過ごされていま

す。皆さまの祈りに支えられ感謝しておられます。続けてお祈り下さい。

 マタイ25:1-13を読んで下さい。そこに10人の娘たち(花嫁の

)の事が書いてあります。花婿が迎えに来て結婚式が始まります。娘たち

は、花婿が迎えに来るのを今か今かと待っています。携帯があれば良いで

すがない時代、遅れても連絡できず、嫁たちは、うたた寝をしたというの

です。いざ来た時に5人はすぐに迎え出ますが、あとの5人が余分に油が

なく手惑います。油を余分に持っている5人に分けてもらおうとしますが、

出来ず買いに行く間に花婿が行ってしまい、追いかけますが戸は閉じられ

たという話です。

 この話の花婿はイエスさま、娘たちは私たちです。イエスさまは、十字

架で死に復活され地上で人々にご自分を現せなさいましたが、その後昇天

されました。今は天で私たちのために祈ってくださっています。そのイエ

スさまは、再び来ると言われました。再臨といいます。しかしその時がい

つかは分からないのです。今日か明日か、20年後か・・・しかしイエス

さまは必ずこの地上に私たちを迎えるために来られます。その時のために

眠らないで目を覚ましてイエスさまに会う備えをしましょう。もちろん再

臨だけではなく、誰でも訪れる死を迎える備えが必要です。愛の神さまは、

待っておられます。

「主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅ら

せておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深く

あられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い

改めに進むことを望んでおられるのです。」(Ⅱペテロ3:9)

                 佐賀神の教会伝道師 相原 幸紀美