コラム  (週報ー風ーより)


 

    9月に入りました。台風シーズンとはいいますが、強い台風が

やってきます。大きな被害が出ないことを心よりお祈りします。

 

    

 

 

 

                委ねよ

 

                        水野源三

 

     あなたの胸にわいてくる未来にたいする心配を

     委ねよ 委ねよ 委ねよ

     すべてのことをよきようにして下さる父なる御神に

 

     自分の力や知恵ではどうにも出来ない心配を

     委ねよ 委ねよ 委ねよ

     すべてのことをよきようにしてくださる父なる御神に

 

     友と楽しく話す時も胸から消えない心配を

     委ねよ 委ねよ 委ねよ

     すべてのことをよきようにして下さる父なる御神に

 

 

 

      上記の詩は水野源三さんの詩です。『心配』はわいてきます。

     私たちはまだわからない未来に対する不安を抱きます。どうに

     も出来ないことと分かっていても心配します。それは時には、

     ずっと心を支配します。この詩はよくわかります。その心配事

     をすべてのことをよきようにして下さる神さまに委ねというの

です。

 

      委ねます、委ねますといいながら私たちはやっぱり心配する

     弱い者です。ある先生は、神さまが私のために今までどんな良

     いことをして下さったかを思いだすと、この心配も神さまがき

     っと良くしてくださると信じることができますよと教えて下さ

     いました。十字架と復活を通して私を愛して下さるお方、祈り

     を聴いて下さったお方に目を上げると不安の中でも少しずつき

     っと大丈夫と信じることができます。時にはゆっくり神さまの

     恵みを思い返し感謝をささげてみましょう。神さまの愛はいつ

も注がれています。

 

     「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召さ

     れた人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となる

ことを、私たちは知っています」(ローマ8:28)

            (2022.9.4週報より)

 


 

      今祈祷会で『ルツ記』を学んでいます。旧約聖書にあります。ルツという

     のは女性の名前です。この人はモアブ人です。聖書の中心は、イスラエル人

     を中心とする救いの歴史です。

 

      エリメレクとナオミ夫婦そして二人の息子マフロンとキルヨンはユダのベ

      ツレヘムに住んでいました。しかし飢饉がありモアブの地に家族は移住しま

した。モアブで二人の息子は、奥さんをもらいました。オルパとルツです。

 

      幸せは束の間、ナオミの夫、二人の息子はなくなりました。残されたのは、

     ナオミと二人のモアブ人の嫁でした。女性ばかり3人が残されたナオミは、

     嫁たちの将来について心痛めたことでしょう。時代も今とは違います。想像

     してください。なぜこんな苦しみに遭うのか?と神さまに問うのではないで

しょうか?

 

      ナオミは、二人の嫁を連れてユダに帰国する決心をします。しかし嫁たち

     の将来を考えます。モアブ人の女性が、ユダで生活すること、自分が亡くな

った後などナオミは考えて、嫁たちにモアブの実家に帰るように促します。

 

       色々なやり取りの後オルパは泣きながらモアブの実家へ帰ります。

       しかし、ルツは帰らないのです。

     「あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。」(ルツ1:16)

     ナオミについて行く決心は固かったです。ナオミは苦しみ悲しみを背負い、

     ベツレヘムに帰りました。モアブのルツも一緒です。ルツは、さっそく落穂

     拾いに出かけます。ちょうど大麦の刈り入れのときです。その畑が問題です。

     エリメレクの一族のボアズの畑です!!つまり親戚の畑です。聖書は『はか

     らずも』と記しています(ルツ2:3)。ルツは何も知りませんでしたが、そ

     こには神さまのみ手があったのです。ボアズは、ルツについて知ります。ナ

     オミについてきたモアブ人だと。その上で非常に配慮してくれます。ここに

     神さまのみ手が働いています。結果的にこのルツとボアズは結婚します。そ

     してオベデという息子が与えられます。ナオミは非常にうれしかったことで

     しょう。そしてオベデの子孫から救い主イエスさまが、誕生なさいます。イ

     スラエルの歴史の中にモアブの女性が入っているのです。神さまは世界の神

さまなのです。ルツ記を読んでみませんか。

 

       ナオミは、哀しみの涙から喜びの涙に変わりました。ルツの人生の計画が

     このようになるとは想像もしなかったでしょう。神さまは、私やあなたの人

生に今も働いておられます。導いておられます。

 

     「人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、主が人の歩みを確かにされる。」

     (箴言16:9)『はからずも』実は神さまのみ手が働いています!人知れず

悲しみ苦しみの中におられる方に、神さまの愛が注がれますように!

               (2022年6月19日の週報より)

 


 

    幼稚園では、食事の前に歌を歌い神さまに感謝のお祈りをしていただきま

    す。先日年少組で食事をしました。食事の前に讃美しお祈りが終わって食べ

    始めました。4月に入園した子が多いクラスですがみんな自分で上手に食べ

    ています。すると一人の男の子が、ひとりで手をくんでまたお祈り始めまし

    た。4月から入園したばかりですが、食事のお祈りを一人でしっかりとでき

    たのです。そしてとってもかわいく!その子のお母さんに話すと、家で寝る

    前にすわって一人でお祈りしているそうです。3歳の子が手を合わせてお祈

りしている姿は可愛いし、神さまも微笑んでおられることでしょう。

 

 

 

     小さい時に神さまの存在を知ることはとても大切なことです。自分を造り

    愛している方がおられることは、自分が大切な存在であるということは、人

    格形成に大きな影響を及ぼします。そして目に見えない方、しかし確かにお

    られる方に祈る経験は大きな事ですね。礼拝ごとに年長児が、自分で考えた

    言葉でお祈りします。「お友達がみんな幼稚園に来られますように」「コロナ

    にかからないように」など子ども自身が考えます。時にはすぐに言葉が出な

    い子どももいますが、みんな静かに待ちます。時には先生に助けてもらいな

がらお祈りします。

 

 

 

     わたしが子どもたちの祈る姿をみて「かわいいな」「そうだよね」「やさし

    いね」と思いますが、天のお父さまである神さまも私たちの祈りを見ておら

    れ、聴いておられます。お祈りに素晴らしい祈りとかはありません。つたな

    くても神さまに心向けて祈る祈りを主は聴いてくださっています。その祈り

    はすでに聴かれています。ただ神さまのなさり方、神さまの時があることも

私たちは覚えなければなりません。

 

   「私たちすべてのために、ご自分の御子さえも惜しむことなく死に渡された

    神が、どうして、御子とともにすべてのものを、私たちに恵んでくださらな

いことがあるでしょうか。」(ローマ8:32)

 

     あなたは、神さまに愛されています。祈りは覚えられています。祈り続け

     しょう。神さまの霊、聖霊は、私たちを神さまの恵みの世界へと導かれま

     す。世界の平和のために祈りましょう。愛する家族や教会のために祈りまし

  ょう。          2022年5月の週報より

 


 

   「驚くことはありません。あなたがたは、十字架につけられたナザレ人 

    イエスを捜しているのでしょう。あの方はよみがえられました。ここに 

    はおられません。」(マルコ16:6)

 

 

 

     イエス様は、十字架で亡くなられました。

    手や足は釘で打たれ、頭には茨の冠、脇腹は槍で・・・。即死ではなく肉

    体の激しい痛みと闘われました。また人々からの誹謗中傷、裏切りによっ

    て精神的に苦しまれました。しかし私たちを救うために、耐えて最後まで

    忠実に神の御心に従われました。主を慕う人々は、悲しみと絶望の中にい

    ましたが早く埋葬する必要がありました。アリマタヤのヨセフによって墓

に収められました。

 

     その主に香油を塗るために、3日後に女性たちが墓に行きます。からの

    墓には、イエス様のご遺体がない!!驚きました。すると「よみがえられ

た!」と聞きます。女性たちは驚きます。恐れます。

 

    「彼女たちは墓を出て、そこから逃げ去った。震え上がり、気も動転して

    いたからである。そしてだれにも何も言わなかった。恐ろしかったからで

ある。」(マルコ16:8)

 

     イエス様が亡くなって悲しく、イエス様にもう一度会いたいと思ってい

     たであろう女性たち。本当ならばよみがえられたと聞いて喜ぶべきです。

    しかし恐ろしかったのです!!イエス様は生前よみがえると言われていま

    したが覚えていなかったし、人が死んでよみがえるなんてことは信じられ

ないのです。当然です。ですから墓に香油を塗りに行こうとしたのです。

 

    イエス様にお会いしたいけれど、お会いしたら、どうして十字架刑になっ

    た時助けてくれなかったのか、よみがえるといった言葉を信じないのかと

    責められるかも・・・なんだか複雑でしょう。しかしイエス様は、ヨハネ

    による福音書によると「平安があなたがたにあるように」と弟子たちを責

    めるのではなく、赦すために復活されたのです。死は誰でも通るが、それ

が新しいいのちへの道だとイエス様ご自身があらわしてくださいました。

 

     復活を信じられない方もあるでしょう。そうです。頭ではわかりません。

    死んだ人がよみがえるなど、あり得ないことです。しかし、あり得ないこ

    とを、失望と絶望の死を打ち破るためにイエス様はしてくださいました。

    イエス様を自分の神さまと信じるならば、私たちの死は悲しいことですが、

絶望ではないのです。教会は十字架で私たちの罪を赦し、復活によって死

    の恐怖を打ち破られたイエス様を信じる者たちの集まりです。

                  (2022年4月の週報より)


 

     ウクライナとロシアの戦いは続いています。ロシアに宣教師として行か

    れている女性のことを祈っていました。ロシアに今もおられます。最近の

情報は、「日本のカードが使えなくなりました。ネットがつながらないこ

が増えてきました。日本語クラス(日本語を教えながら宣教しています)

   がこれからどうなるかわかりません」という情報です。ある情報では、帰国

したくても飛行機がなかなかないということも言っていました。

 

   またポーランドにある教会(バプテスト)は、ウクライナからの避難民

   を受け入れているそうです。会堂も宿泊している人がいるそうです。世界

 が心を痛めています。

 

 ウクライナのクリスチャンが讃美し祈っていま。そして、ロシアのクリス

チャンも同じです。みんな平和を願っています。現地の人々の生活はかなり

困難になっています。戦争は、何の良いものをも生みださないことはみんな

分かっています。歴史は繰り返します。たとえ戦争が終わっても心の中には、

憎しみ痛み、苦しみは深く人々の心に残ります。本当に早く戦争が終わるこ

   とを願い、祈りましょう。

 

 

    今教会歴では、レント(受難節)です。先週は、ペテロがイエスさまを

   3回知らないと否んだ個所でした。一番弟子と言われるくらいのペテロが、

   イエスさまと同じように逮捕されるのではないかと恐れました。「確かに、

   あなたはあの人たちの仲間だ。ガリラヤ人だから。」と言われると、「私は、

   あなたがたが話しているその人を知らない」と言ったのです(マルコ14:

   70~71)。私たちはとっさに何か言われると、うまく応答できないこと

   があります。やっぱり弱いのです。自分が可愛いのです。ペテロのことを

   私たちは非難できません。しかし弱いペテロを、イエスさまはもうその前

からご存知です。

 

  「わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りまし

   た。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」

                        (ルカ22:32)

 

    イエスさまは、私たちのためにも今日も祈っていてくださいます。弱い

  私たちですが、その祈りに支えられて歩んでまいりましょう。

 

 

   私は、毎朝ローマ人への手紙を読んでいます。昨日の箇所に、「彼は望

   み得ない時に望みを抱いて信じ、『あなたの子孫は、このようになる』と

   言われていたとおり、多くの国民の父となりました。」(ローマ4:18)

   とありました。彼というのは、アブラハムのことです。アブラハムの奥さ

   んは、サラです。アブラハムとサラは、子どもが与えられませんでした。

   しかし神さまはアブラハムに、空の星を数えるように言われ、このように

   あなたの子孫はなると言われました。アブラハム(その頃の名はアブラム)

   はその神さまの言葉を信じたのです。しかしすぐに実現したわけではあり

   ませんでした。色々ありながらも神さまの約束は、その通りになりました。

創世記の第12章以降に記されています。

 

 

 

    「望み得ないときに望みを抱いて信じる」この言葉は、私の心を打ちま

   した。皆さん祈っておられることがありますか?ずっと祈っていても何の

   変化もないと思うことがありますね。子どもの事、仕事の事、親の事・・・

全然変わらないような時も私たちは、神を信じていくのです。

 

 

    ある牧師先生が今65歳で難病になり伏しておられます。昨日奥様に

   電話し、奥様とお祈りしました。奥様が「こんなことになるなんてと思い

   ましたが、神さまはこのような中にも不思議なことを幾つもしてくださっ

   ています。私は不思議に平安です」と言われました。厳しい病状を告げら

   れています。まさしく望み得ないような時です。しかし、神さまがこのこ

   とも知っていてくださると信じ歩む姿に大変教えられました。目に見える

ことがどんなに困難でも、祈りつつ神さまを信じて歩んでまいりましょう。

 

   「望み得ないときに望みを抱いて信じる」この御言葉ぜひ覚えていきまし

ょう。十字架にかかるほど私たちを愛してくださる主を仰いでまいりまし

   ょう。                 (2022年2月の週報より)


       「民よ どんなときにも神に信頼せよ。

        あなたがたの心を 神の御前に注ぎだせ。

       神はわれらの避け所である。」(詩篇62:8)

      

      「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。

         たじろぐな。わたしがあなたの神だから。

       わたしはあなたを強くし、あたを助け、

          わたしの義の右の手で、あなたを守る。」

(イザヤ41:10)

      

昨年、教会の方にこの2つのみ言葉を書いていただきました。優しい

温かい字で心が癒されますね。そしてこの御言葉いかがですか。いい御

言葉ですね。新しい年がどんな年になるでしょう。

楽しみなことがおありの方もありますね。もちろん新しいスタートを

切る人もおられます。しかし不安な面もあります。コロナ感染がいつま

でか?年末から連発する地震も私たちに不安を与えます。体調面で不安

がある方もおられるかもしれません。こどものことや親のことがと私た

ちは、信仰と不安の中を生きています。

 そのような中で、上のみ言葉「どんなときにも神に信頼せよ」との言

葉は大きな力になります。恐れに心が満たされたとき「恐れるな。わた

しはあなたとともにいる。」この御言葉を読むときにどんな感じがします

か?私は大きな励ましと平安を頂きます。御言葉には、私たちを救う力

があるのです!!

 このカレンダーをはって、この御言葉を覚えてください。この一年こ

の御言葉に励まされた、支えられたということが起こると思います。

 新しい一年も神さまに愛されているお互いを覚えて歩んでまいりまし

ょう。みなさまと共に礼拝し共に御言葉に聴き、お互いのために祈り励

まし合って歩んでまいりましょう。

「神は、実に,そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。

それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを

持つためである。」(ヨハネ3:16)


 

       わがたましいよ 主をほめたたえよ。

       私のうちにあるすべてのものよ

       聖なる御名をほめたたえよ。

       わがたましいよ 主をほめたたえよ。

       主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。

       主は あなたのすべての咎を赦し

       あなたのすべての病を癒し

       あなたのいのちを穴から贖われる。

       主は あなたに恵みとあわれみの冠をかぶらせ

       あなたの一生を 良いもので満ち足らせる。

       あなたの若さは 鷲のように新しくなる。

 

                           詩編103:1-5

 

            

 

        クリスマスが終わり羊飼いたちも置かれたところに帰っていき

        ました。救い主イエスさまと出会う前と同じ場所です。やっぱり

        夜番は続きます。しかし救い主が生まれられたそのお方に私たち

はお目にかかったという事実は大きな慰めでした。

 

         私たちも2021年を終えようとしています。今年、愛するご

        家族を天に送られた方もおられます。大病をして私たちは共に祈

        り快復を見させていただいています。幼稚園も少子化という厳し

        い状況にありながらも守られています。大きな事故ケガからも

        主のあわれみによって守られています。また2人の方が洗礼をお

受けになり新しく神の家族に加わられました。感謝です。

 

         皆様は、いかがですか?どんな感謝なことがあられましたか?

        大きな事もなく守られた。それも感謝なことです。

        「主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」

(詩篇103:2)

 

         私たちは忘れやすいものです。「あーよかった!」ですぐ忘れ

         ます。忘れないようにと主は言われます。年の瀬で忙しいかもし

         れませんが、主がよくしてくださったことを思い出し感謝の祈り

をいたしましょう。   (2021年12月26日週報より)

 


     クリスマスは、みなさんにとってどんな思い出がありますか?

     私の家は、クリスチャンではありませんでしたので年末の忙しさに追われていたという感じです。

     子どもの私は、実はいじめにあっていました。友達もいなく学校も嫌いでした。そのことを母に

     言えずにいました。そんな時に「教会に行かない?」と誘われました。教会?よくわかりません

     でしたが、誘われたことが嬉しくて教会に続けて行きました。小学校3年でした。

      あるときクリスマスは、イエスさまの誕生日であること、馬小屋でお生まれになられた事

     それは十字架で私のために死ぬために生まれられたこと、しかし3日目によみがえられて

     今も生きておられること。私を愛していて下さることを知りました。私の人生は、変わり

     ました。神さまに愛されている。状況は変わりませんが、祈ることを知りました。

      それから色々ありました。もちろん悲しいことや辛いこともでもそのたびに祈り、聖書

     の言葉に励まされてきました。教会の方々にも支えられてきました。

      クリスマスはイエス様のお誕生日、あなたを愛するためにイエス様はお生まれ下さいました。

     ぜひ目には見えませんが、あなたを愛しておられる神様の求めてみませんか?

      心からあなたのお越しをお待ちしております。

   「神は実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、

     一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)

 

 

 

 


今日の第一礼拝の箇所は、サムエル記第一13章1~15節、15

章です。イスラエルの最初の王サウルの失敗について書いてあります。

 サウル王は、イスラエルの人々とペリシテと闘うために出て来ます。

ペリシテ軍の勢いが強い様子を見聞きし、イスラエルの兵士は震えな

がらサウル王についていきます。その様子を見ながら、預言者サムエ

ルがきて例祭(礼拝と祈り)を行うのを待ちました。しかし預言者サムエ

ルはなかなか来ません。イスラエル人はサウル王から離れて行こうと

しました。7日間待ちました。とうとうサウル王は、預言者サムエル

を待たず、預言者しかできない全焼の捧げものを捧げました。すると

預言者サムエルが来たのです。そして「あなたは、何ということをし

たのか。」(サムエル第一13:11)と言うのです。するとサウル王

は、言い訳します。「私もあなたを待っていたんですよ。あなたの到着

が遅かった」「恐れている兵士たちを引き留めるためでした」「私がち

ゃんと全焼のささげものをしたんですよ。ほめてくれてもいいじゃな

いですか」というような思いで言い訳をします。しかし神さまは、言

い訳せず悔い改めるのを待っておられたのです。サウル王は15章で

も同じように神さまに従わず指摘されると言い訳し自分を正当化しま

す。ここに罪があります。

 

人はみな自分を正当化したいという心があるということです。自分

      が間違っているかもしれないと思ってもなかなか素直に認められない

のです。自分の過ちを素直に認められず、人を責めたり、自分を追い

詰め人も自分も傷つけていくのです。そんな私たちのために、イエス

さまは、私たちの身代わりになり十字架の上で死んでくださいました。

そして3日目によみがえり私たちに新しい命、生き方へと招いてくだ

さいました。神さますべてご存知で赦しのみ手を広げておられます。

「しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのため

に死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかに

しておられます。」(ローマ5:8)神さまは私たちを責め続けるお方

でなく、愛と赦しの中へと導き、自分を愛し人を愛する者になってほ

しいと願っておられます。私たちは、イエスさまの愛の中で日々変え

られ続けていくのです。愛なる神さまがみなさんとともに歩んでくだ

      さいます!!  


 

     日中はまだ暑いですが、早朝は非常に気持ちいいです。自然

をお造りになり秩序をもって支配なさる神さまってすばらしいと感じま

     す。感謝です。

 

 

      第一礼拝で先週と今日は、ルツ記を学びました。旧約聖書の1つです。

     ルツというのは、女性の名前です。この人はモアブ人でした。旧約聖書

     は、イスラエル人を中心とする神さまの歴史が書かれていますが、ここ

ではモアブの女性ルツの話です。

 

      ナオミ(日本にもある名前です)と夫のエリメレクは、ユダヤ地方を

     離れモアブに移住します。そこで二人の息子をもうけ、4人で暮らしま

     す。しかし夫が亡くなります。ナオミは二人の息子と力を合わせて生活

     します。二人の息子はモアブの女性を妻にします。しかし幸せは束の間、

     二人の息子はなくなります。ナオミと二人の嫁が残されます。ナオミは

     故郷のユダの地に帰る決心をします。途中まで行くと嫁に、モアブの地

     に帰るようにいいます。当時の社会では、女性が生きることは大変なこ

     とです。ナオミは嫁たちに故郷で再婚をしたらどうかと勧め帰郷を促し

     ます。弟嫁は泣きながらも帰郷します。兄嫁ルツは、ナオミから離れま

     せん。兄嫁としての責任?違います。ルツは、ナオミの中にナオミが信

頼する神様を見たのです。

 

「あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。」(ルツ1:16)

 

 

     高齢のナオミとともに歩むことは大変です。ルツにとっては異国の地ユダ

     に住むことは勇気がいります。しかしルツは、ナオミを通して神さまに

     信頼しました。夫と子供二人を失ったナオミ、その嫁ルツの悲しみと苦

     労はどんなに深いことでしょう。しかし神さまは共におられました。

ルツは、ナオミと生活するために、落穂を拾います。その落穂を拾う畑は

 

それは、はからずもエリメレクの一族に属するボアズの畑であった」(2:3)

 

です。やがてこのボアズとルツは結婚します。そしてオベデが生まれます。

やがてその子孫からイエスさまが誕生されます。モアブの女性からイエスさ

まにつながっているのです。つまり救いは、全人類のためであるというこ

とです。

 

      ナオミとルツの人生は、悲しみと苦労の人生でした。しかし神さまは、

涙で終わらされません。神さまを信じ歩む人を祝福してくださいます。

 

    「彼らは涙の谷を過ぎるときも そこを泉の湧く所とします。初めの雨

も、そこを大いなる祝福でおおいます。」(詩篇84:6)

 

私たちの人生も神さまがすべてご存知です。神さまを信頼して歩んで

     まいりませんか?教会はいつでもあなたのお越しをお待ちしています。

                       2021年9月の週報より        


 

      聖書は、分厚い辞典のようですね。初めて手に取られて驚かれる

方もおられます。聖書の前半は旧約聖書、後半は新約聖書となっ

ています。

 

       旧約聖書は天地のはじめから人類の誕生、人の罪、イスラエルの

      民を中心にした歴史とそこに働かれる神さまのみ業や律法、詩、知

      恵のことばが記されています。旧約聖書を読むと、何千年も前から

      人間の本質は変わらないなと感じます。神さまの恵みもちりばめら

れています。

 

       新約聖書は、イエスさまの生涯を記したマタイ、マルコ、ルカ、

      ヨハネの四つの福音書は、それぞれ視点は違いますが、イエスさま

      の誕生から十字架、復活までを記しています。福音書の次にある使

      徒の働きは、神さまがどのように教会を誕生させ導かれたかを書い

      ています。次に、パウロをはじめ使徒たちの手紙があり、最後はヨ

      ハネの黙示録です。これはこれからのことが記されていますが、難

解で正しく理解をしないといけません。

 

       とにかく聖書は旧約39巻、新約27巻をいいます。他にも色々

      な書物があったようですが、AD397年の会議でこれを正典とす

      ることが決まり、私たちの教会もこの聖書を神さまのことばと信じ

ています。

 

 

 

       ではどのように聖書を読むことが良いのかです。1日に3~4章

      読むと1年で読めると言われています。もちろん全体を読むことも

      大切です。しかし丁寧に読むことが大切です。一度にたくさん読ま

      なくてもいいのです。読んでいい言葉だなと思ったら赤でしるしを

      するのもいいです。読んだ個所を心に収め一日心で反芻し、夜寝る

      前に振り返り感謝して眠ることができたら幸いです。毎回毎回感動

      の箇所に出会わないかもしれませんが、聖書を読むのを続けていき

ましょう。最近読んでないなという方また始めましょう。

 

「神のことばは生きていて、力があり、・・・」

                   (へブル4:12)

      聖書の言葉が、あなたの人生の支え、苦しむとき悩むときの支えに

      なるようにお祈りします。神さまは、あなたを愛しておられ聖書を

通して語られます。

 


 

    

 

        イスラエルの人々は、モーセの死後ヨシュアをリーダーとして 

       神さまの約束の地を征服していきます。そのあと各部族ごとにく 

じをひいて割当地をもらいました。

 

 

 

        カレブという人が来ました。この人はカナンの地の偵察に行っ

        ときに信仰の目をもって報告した人です。彼は、今85歳です。

       「今日、私は85歳です。モーセが私を遣わした日と同様に、今

       も私は壮健です。私の今の力はあの時の力と変わらず、戦争にも

日常の出入りにも耐えうるものです。」(ヨシュア14:11)

 

       「今、主があの日に語られたこの山地を、私に与えてください。

        そこにアナク人がいて城壁のある大きな町々があることは、あの

        日あなたも聞いていることです。しかし、主が私とともにいてく

       だされば、主が約束されたように、私は彼らを追い払うことがで

きます。」(ヨシュア14:12)

 

 

 

        非常に前向きです。彼は自分の信仰生活を、「私の神、主に従

       通しました。」(ヨシュア14:8)と言います。素晴らしい告

       白です。

 

        信仰生活は、多くの場合長距離ランナーのようです。その歩み

       の中では、楽しいことや喜びがあります。しかし試練もあります。

       祈っても祈っても解決しないことがあり、信仰がゆすぶられこと

       があります。心がなえ、祈ることが空しく思うことがあります。

       そのような時思い出してください。神さまは、あなたを離れない

       で共におられるということです。そしてあなたのために天でとり

       なしておられます。またあなたの知らない所で誰かが祈っておら

       れるということです。信仰生活は、一人で頑張っても弱くなりま

すが、励まし合い祈り合うことが大切です。

 

       85歳のカレブは、神さまを見上げて歩んでいます。私たちも

 そのようにゆるされるときまで歩んでまいりましょう。また誰か

 のために祈る一週間となりますように。

 

祝福をお祈りいたします。

 

 

           (2021年6月27日週報より)

   

 


 

 

 


 

 

      イスラエル人を奴隷の地エジプトから解放するリーダーがモーセで

    す。モーセは、エジプトの王ファラオの所に行きイスラエル人を解放

    するように言います。しかしファラオは、モーセの言葉に聞く耳を持

    たず、さらに重労働を強いることになります。するとイスラエル人は

    モーセに詰め寄りなぜ自分たちを苦しめるのかというのです。モーセ

    は神さまに訴えます。「それでモーセは主のもとに戻り、そして言

    った。『主よ、なぜ、あなたはこの民をひどい目にあわせられるので

    すか。いったい、なぜあなたは私を遣わされたのですか。』」(出エジ

    プト5:22)れに対して神さまは、「・・・わたしはあなたがた

    を取ってわたしの民とし、わたしはあなたがたの神となる。あなたが

    たは、わたしがあなたがたの神、主であり、あなたがたをエジプトで

    の苦役から導き出す者であることを知る。」(出エジプト6:7)と言

    われますが、イスラエル人はモーセの言うことを聴こうとはしません。

    しかし神さまは、エジプトに様々な自然災害を起こされます。川が血

    に、かえる、ヨブ、アブ、疫病、雹、イナゴなどです。ファラオは災

    害が収まるなら民を解放すると言いながら約束を守らず、心変わりを

    します。そのようなファラオを聖書はこう記しています。「主はファ

    ラオの心を頑なにされたので、ファラオは二人(※モーセとアロン)

    の言うことを聞き入れなかった。主がモーセに言われたとおりであっ

    た。」(出エジプト9:12)ついに最後のわざわいです。それはエジ

    プトのすべての長子の死です。イスラエル人の家の鴨居に子羊の血を

    塗らせ、それ以外の家の長子が死ぬという禍です。ファラオの長子は

じめすべての長子がなくなり悲しみの叫びがその晩響き渡りました。

 

    そしてイスラエル人が解放されることとなりました。イスラエル人で

    さえ神さまの業を信じられなかったのですが、神さまは約束どおり御

業をなしてくださいました!

 

 

     私たちは、やめられない罪があったり、過去の罪、死の恐怖に縛ら

    れ奴隷のような感じかもしれません。解放されたいと望んで心で叫ん

    でいるのかもしれません。そのような私たちのために神の子羊なるイ

    エスさまが、十字架で血を流し身代わりとなって下さいました。信じ

    る者は、罪や死の恐怖の奴隷になることはないのです。あなたは愛さ

    れています。赦されています。イスラエル人がエジプトの地を出てカ

    ナンの地を目指し主と共に歩んだように、私たちもイエスさまと歩ん

    でいきましょう。今苦しみの中や試練の中にいる方、神さまはあなた

の痛みを知り、必ず御業をなしてくださいます!

          (2021年5月9日週報より)

 


 

     創世記の最後にヨセフ物語があります。ヨセフは、エジプトの大臣

    なり、飢饉が続くカナンより親兄弟と家族をエジプトに招き暮らすよう

    になりました。その後エジプトに定住しましたが、エジプト人より数が

    増加し、エジプト人は脅威を感じるようになりました。そこで、エジプ

    トの王は、イスラエル人を奴隷とし、過酷な労働を強いました。さらに、

イスラエル人に男子が生まれたら殺すように助産婦たちに命じました。

 

     しかし助産婦のシフラとプアは、王の命令に背いて子を生かしました。

    王から、なぜ生かしておいたかと言われても、イスラエル人の女性たち

    は元気で、自分たちが行く前に産んでしまいます、と答えました。この

神を畏れる助産婦に神さまは良くしてくださいました。(1章)

 

     そのような時代に、あるイスラエル人の家庭に男の子が生まれました。

    「男児が生まれたらナイル川に投げ込むように」という王の命令が出た

    ときです。両親は、3カ月隠して育てましたが、隠しきれなくなり瀝青

    と樹脂を塗ったかごにその子をいれナイル川に流します。両親は祈った

    ことでしょう。姉のミリアムが流れるかごを見守ります。するとなんと

    いうことでしょう。その子はエジプト王の娘の目に留まり、かごは引き

上げられました。イスラエル人の子どもだと分かりました。

 

    「それを開けて、見ると、子どもがいた。なんと、それは男の子で、泣

    いていた。彼女はその子をかわいそうに思い、言った。『これはへブル人

    の子どもです。』その子の姉はファラオの娘に言った。『私が行って、あ

    なた様にへブル人の中から乳母を一人呼んで参りましょうか。あなた様

に代わって、その子に乳を飲ませるために。」(出エジプト2:6~7)

 

     川に流した子どもが帰ってきて、王の娘の命令で母親が乳を飲ませる

    ようになろうなどと誰が考えることができたでしょうか。ここに実は神

    さまの深い計画があります。この子は、モーセです!イスラエル民族を

    奴隷の地エジプトから救い出すリーダーとして、神さまが誕生させたの

    です。モーセは、実母の乳を飲み、家族に愛され、やがてエジプトの教

    育を受けます。しかしモーセは、殺人を犯して逃亡することになります。

    40歳まで、異国の地で隠れるように生活し、妻子を得、過去を忘れる

    かのように生活します。そのような中でも神さまは、モーセを忘れず、

いやすべてを知って召し出されます。神さまのご計画は、不思議です!

 

     私たちの計画を越えて、神さまは豊かに働かれます。苦しみや悲しみ

があっても神さまはどこまでも共におられるお方です。信じましょう。

 

    「わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている

     ――主のことば――それはわざわいではなく平安を与える計画であり、

あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」(エレミヤ29:11)

 

              2012・5・2週報より 

 


私の住む家の周りにある草花は、元気です。

ぶどうの新芽(実も)、アジサイ、タイムなど生き生きとしています。冬の間は、枯れたようになっていましたが、春になったら一斉生き返りました。心が明るくなります。花をよく見ると、色、形、大きさの違い、花によくあった葉すごいなと感動します。また気が付かないようなところにも花が咲き頑張っているなと励まされます。

私たちは、自然界から力をもらいます。神さまがお造りなった自然界です。

 イエス様も地上の生涯を歩まれたとき花を見られて言われました。

 

「しかしわたしはあなたがたに言います。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の1つほどにも装っていませんでした。今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。信仰の薄い者たち。ですから、何を食べようか、何を飲もうか、

何を着ようかと言って心配しなくてよいのです。これらのものはすべて、異邦人が切に求めているのです。あなたがたにこれらのものすべてが必要であることは、あなたがたの天の父が知っておられるます。」(マタイ6章)

 

 あなたは神さまの愛の中におられます。神さまはイエスさまとして地上を歩まれ、生活する苦しさ、人に誤解されるつらさ、肉親との別れの悲しみ、うらぎり、十字架の肉体の痛みなど人が経験する痛みをすべて体験されました。だからあなたの今の辛さが分かります。そしてそのお方に心ひらいていのるなら近くおられる平安を経験するでしょう。

 

いまコロナで大変です。孤独、恐れ、言いようもない不安が私たちに迫っています。しかし神様は、見捨てず見放さないと言っておられます。ありのままの気持ちを祈って下さい。

祈ってみたい、聖書に触れてみたいというかたは、勇気をもって教会の戸を叩いてみて下さい。近くに教会がないという方お問い合わせください。あなたの祝福のためにお祈りします。

 

 

 

 

 


 人は必ず死ぬ日が来ます。突然何をと思うかもしれません。

 これはだれにでも訪れるもので、避けることはできません。どんなにお金があってもどんないい医者にであってもそれは避けられません。ある人は、死が怖いと思いますしある人は楽になれると思っています。死んで終わりといいますが本当にそうでしょうか。

 

 聖書の言葉に「人間には一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように・・・」

とあります。死んだあと裁きを受けることが決まっていると、だとしたら私は天国に行ける?・・・

私は幼い時に人のものを取ったことがあります。謝りましたが「泥棒」といわれいじめにあいました。ですから

この言葉を読んだ時、私は死ぬことが怖いと思いました。あなたはいかがですか?

 

 

しかし聖書はその続きがあります。

「キリストも多くの人の罪を負うために一度ご自分を献げ、二度目には、罪を負うためにではなく、ご自分を

待ち望んでいる人々の救いのために現れて下さいます。」(へブル9:28)

イエスキリストは、私たちの罪のために十字架で死んでくださいました。十字架刑は、手と足にくぎを打たれ

人びとにさらされ長い時間かかって死んでいきます。それは苦しいものです。イエスさまは罪がないのに私や

あなたのために十字架で死んでくださいました。それはあなたや私を愛していて下さるためです。そして3日目によみがえり40日間あらわれ天に帰られ、またお出でになられます(再臨)。

 

クリスチャンは、死ぬことは悲しいことですが、絶望ではありません。イエス様がよみがえられたように私たちも

やがて復活されると信じています。希望があるのです。

 

イエス様が復活されたことを覚え感謝するのがイースターです。死は悲しいことですが絶望ではありません。

イエスにある希望です!!

今は本当に苦しい、ストレスの多い時代です。でもイエスさまは信じ祈るとき希望を持つことができます。

もし死にたい、辛いという方がおられたらぜひ教会を訪ねて下さい。一緒にお祈りしましょう。神さまはあなたを愛しておられます。

 

 

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世(あなた)を愛された。

   それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」                    (ヨハネ3:16)

                      (2021.4.4)


 

聖書の中にこんな言葉があります。

 

     「そこで、マノアは主の使いに言った。「お名前は何とおっしゃいます

      か。あなたのおことばが実現しましたら、私たちはあなたをほめたたえ

     たいのです。」主の使いは彼に言った。「なぜ、あなたはそれを聞くのか。

わたしの名は不思議という。」(士師記13:17-18)

 

 

 

      神さまの恵みは時々私たちの想像を超えて働きます。そのような経験

     をお持ちでしょうか?祈っていたけど祈ることさえ忘れていたが、振り

     返ると神さまは不思議な素晴らしいことをしてくださったということが

     ありませんか?私はいくつもあります。新しい方が導かれたとき、洗礼

     を受ける決心をされたとき、会堂を与えられたとき、教会の方の病が癒

     されたとき、お墓のこと、幼稚園のこと等、神さまの不思議な業の連続

     であると思うのです。個人の問題でも主はいつも最善でした。今あるは

神の恵みです。十字架の上で苦しみ私たちを愛し赦して下さったお方、

3日目によみがえって私たちに新しい命を与えて下さるお方は、今日も

生きて働いておられます。そのお方を信じて祈りましょう。

 

      不思議と言われる神さまの導きをこれからも期待しましょう。家族へ

     の恵みと救いを信じて祈りましょう。私たちを愛してくださる神さまは

     あなたの祈りを無駄にはされません。きっとあなたの人生に、不思議な

神さまのみ手が働かれます!!

             2021年2月28日週報より

 


 

 

      

 

     多布施川を見ていたら水仙の花が咲いていました。コロナで世界中が

     騒いでいますが、自然界は変わりなく神さまの恵みの中を生きている

     と感じました。先日は朝早く外に出るとすごく明るいと感じましたら、

     月明りでした。月の明るさにしばし感動しました。

 

 

 

      神さまは、造られたものをもって神さまを現されます。月や太陽を

     見てすごいなと思います。秩序をもって回っています。季節の花々は、

     その時を知って咲きます(もちろんちょっと狂うこともありはします

     が)。神さまがお造りになった私たちの体もすごく精密です。よくで

     きています。ひとつひとつが神さまのみ業です。よく考えると生かさ

     れている不思議を感じます。

 

 

      「天は神の栄光を語り告げ 大空は御手のわざを告げ知らせる。」

                       (詩篇19:1)

 

     天体を通して神さまがわかるんだと詩編の著者は言っています。教会

     に来られない人でも、大自然を見ると自分の小ささに気づいたりしま

     す。神さまを感じるように、神さまは人間を造られました。

 

 

      疲れたとき、淋しくなったとき、もちろん嬉しいときも、ぜひ神さ

まが造られた物を見てください。

 

 

 

     「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのよう

     に装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださら

     ないでしょうか。信仰の薄い人たちよ。ですから、何を食べようか、

      何を飲もうか、何を着ようかと言って、心配しなくてよいのです。」

                        (マタイ6:30~31)

 

 

      神さまは、あなたのことを愛しておられます。心配しなくて大丈夫で

     す。不安になるときは、御言葉にすがって祈りましょう。十字架にお

     かかりになるほど愛していて下さるお方があなたと共におられますか

     ら。上手くいかないこともあるかもしれませんが、神さまにとっては

     最善の道と信じて歩んでいきましょう。あとでわかることも多いもの

     です。あなたの歩みのためにお祈ります。

 

 

 

 

                     (2021年1月31日週報より)